6月3日に89歳で死去した長嶋茂雄さんの「お別れの会」が21日、東京ドームで行われました。V9メンバーなど球界関係者らが出席した式典に参加しましたが、式典後の「一般の部」でも多くのファンがミスターとの別れを惜しみ、式典参加者らと合わせ、約3万2400人が足を運びました。

 V9が始まった1965年は、長嶋さん個人にとっても大きなスタートを切る年となりました。この年1月26日、東京・渋谷の教会で亜希子さんと挙式を挙げたのです。南海との日本シリーズでは打率3割8分1厘で2度目のシリーズMVPに選ばれました。

 66年は、5度目の首位打者3度目のリーグMVPに輝きました。この年、「少年マガジン」で「巨人の星」の連載が始まりました。

 67年は2月にベロビーチキャンプのため渡米。3月12日、巨人のユニホーム姿のまま、ドジャースのメンバーとしてブレーブスとのオープン戦に出場。

 68年は3度目の打点王、4度目のリーグMVP。

 69年は2年連続4度目の打点王と、プロ野球タイの4度目のリーグMVPに選ばれ、阪急との日本シリーズでは3度目のMVPに輝きました。

 70年は3年連続5度目の打点王と、ロッテとの日本シリーズで2年連続4度目のMVPを獲得。

 71年はプロ野球記録となる6度目の首位打者と、王貞治に並ぶ5度目のMVP受賞。

 72年は選手兼任コーチとなり、5月20日には川上哲治と並ぶ通算打点1320に並びました。

 73年は新人から16年連続100安打(引退する74年まで17年連続)のプロ野球新記録を達成。南海との日本シリーズはシーズン終盤の右手薬指骨折のため、コーチとしてベンチ入りし、一塁コーチを務め、V9を達成しました。

 こうしたV9時代の王貞治、堀内恒夫、柴田勲、城之内邦雄、末次利光、高田繁、新浦壽夫、河埜和正、吉田孝司、上田武司ら懐かしい顔触れとの再会に、長嶋さんも天国からあの「明るい笑顔」を送っていた気がしました。

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 1984年の王監督の時代から、藤田、長嶋、原監督まで、、20年以上巨人を担当した某新聞社運動部元記者。