21日に「お別れの会」が行われる故長嶋茂雄さんは、出身地の千葉県をこよなく愛していました。特に、千葉県出身のプロ野球選手には、監督時代に他チームの選手でも指導するなど、愛情を注いでいました。
長嶋さんの母校・県立佐倉高校の姉妹校だった県立成東高校出身の鈴木孝政投手(元中日)について「現役最後の年(1974年)に、孝政と対戦したが、今どき、こんな速い球を投げる投手が千葉から出てきたのか、と思ったのを覚えています」と話していました。鈴木投手は、「長嶋親子に公式戦で対戦した唯一の投手」です。
鈴木投手は小さい頃から「長嶋ファン」で、「王(貞治)さんは敵として対戦したが、長嶋さんは、どうしても敵とは思えず、憧れの気持ちで投げた」と話し、「長嶋さんから頂いたウイスキーの熨斗紙は今だに封を切らずに宝物として自宅に飾っています」。
習志野市立習志野高校出身の掛布雅之選手(元阪神)については「最初の監督時代、よく打たれました。一番の思い出は、掛布が不調の時に、知り合いの記者を通じて電話越しでバットを振らせたことです。素振りの音を聞いて、『よし、それでいい』と言ったことがありました。同郷の後輩ということで、他チームだったが、指導してしまいました」。
素振りの音を聞いての指導は、愛弟子の松井秀喜(巨人ーヤンキースなど)に対しても同様で、バットスイングは見ずに、音を聞いて、「松井、それだ」と言っていました。
その松井のドラフト会議の時、巨人、阪神、中日、ダイエーの4球団から1位指名を受けたが、松井は掛布が好きで阪神ファンだったため、本心では阪神入りを望んでいました。しかし、抽選の結果、長嶋監督が引き当て、ラブコールを受けていた阪神の中村勝広監督は悔し涙を飲んでいました。
中村監督は鈴木投手と同じ成東高校出身で、「もちろん悔しかったが、中日やダイエーでなく、巨人の長嶋監督が引き当てたことで『長嶋さんの喜びの表情を見たら、仕方ないと思えた』」。長嶋監督も、千葉の後輩監督に「中村には悪いことしたな」。
長嶋さんの母校・県立佐倉高校の姉妹校だった県立成東高校出身の鈴木孝政投手(元中日)について「現役最後の年(1974年)に、孝政と対戦したが、今どき、こんな速い球を投げる投手が千葉から出てきたのか、と思ったのを覚えています」と話していました。鈴木投手は、「長嶋親子に公式戦で対戦した唯一の投手」です。
鈴木投手は小さい頃から「長嶋ファン」で、「王(貞治)さんは敵として対戦したが、長嶋さんは、どうしても敵とは思えず、憧れの気持ちで投げた」と話し、「長嶋さんから頂いたウイスキーの熨斗紙は今だに封を切らずに宝物として自宅に飾っています」。
習志野市立習志野高校出身の掛布雅之選手(元阪神)については「最初の監督時代、よく打たれました。一番の思い出は、掛布が不調の時に、知り合いの記者を通じて電話越しでバットを振らせたことです。素振りの音を聞いて、『よし、それでいい』と言ったことがありました。同郷の後輩ということで、他チームだったが、指導してしまいました」。
素振りの音を聞いての指導は、愛弟子の松井秀喜(巨人ーヤンキースなど)に対しても同様で、バットスイングは見ずに、音を聞いて、「松井、それだ」と言っていました。
その松井のドラフト会議の時、巨人、阪神、中日、ダイエーの4球団から1位指名を受けたが、松井は掛布が好きで阪神ファンだったため、本心では阪神入りを望んでいました。しかし、抽選の結果、長嶋監督が引き当て、ラブコールを受けていた阪神の中村勝広監督は悔し涙を飲んでいました。
中村監督は鈴木投手と同じ成東高校出身で、「もちろん悔しかったが、中日やダイエーでなく、巨人の長嶋監督が引き当てたことで『長嶋さんの喜びの表情を見たら、仕方ないと思えた』」。長嶋監督も、千葉の後輩監督に「中村には悪いことしたな」。
この他、銚子市立銚子高校出身の石毛宏典(西武ーダイエー)、愛弟子の県立銚子商業高校出身篠塚和典(元巨人)など、多くの千葉県出身の選手とはユニホームを着ている時も、脱いでからも親交を深めていました。
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1984年の王監督の時代から、藤田、長嶋、原監督まで、20年以上巨人を担当した某新聞社運動部元記者。