世界のホームラン王の王貞治さんと、亡くなられた長嶋茂雄さんの「ON」。入団は1年違いだが、長嶋は新人の年に本塁打と打点の二冠、打率と盗塁は2位と、いきなりチームの主軸として活躍。一方、王は入団4年目に「一本足打法」を会得してからタイトルを取れる選手になったことから、「ONコンビ」は1962年が実質的なスタートと言えます。

 しかし、その前から「ON」が「そろい踏み」する試合がいくつか見られました。「ONアベック本塁打」第1号は、59年6月25日の阪神相手の天覧試合。王は同点本塁打。長嶋は2本打ち、2本目はサヨナラ本塁打という派手なものでした。

 「3番、ファースト王、4番、サード長嶋」が初めてアナウンスされたのが60年4月26日の大洋戦。しかし、この試合は鈴木隆に完封負け。

 そして、62年7月1日。王が初めて「一本足打法」で登場。この試合、1本塁打を含む5打数3安打で快調なスタートを切ることができました。この年、王が本塁打王と打点王に輝いたが、以降、長嶋が引退する74年までの13年間で、本塁打王は全て王が、打点王は2人で独占し、6度にわたり、2人で打撃三冠タイトルを独占しました。

 V 9の時は、打撃三冠で、ON以外の選手がタイトルを獲得したのは、67年の中暁生(中日)と72年の若松勉(ヤクルト)が打率部門で1位になっただけです。

 ただ、62年は巨人がBクラスの4位に終わったこともあり、まだ「ON」の呼び方はブレークしませんでした。翌63年、2人が優勝の原動力となり、タイトルも打率と打点は長嶋、本塁打は王が獲得。ヤンキースのマントル、マリスの「MMキャノン」にならい「ONコンビ」「ON砲」と呼ばれるようになりました。アベック本塁打は、長嶋の引退試合となった74年10月14日の中日とのダブルヘッダー第1試合までの合計106回で、史上1位。アベック本塁打の出た試合は8割4分5厘と高い勝率をマークしました。日本シリーズでは5回、オールスターゲームでも1回記録している。それぞれ2本打ったのは69年5月22日のアトムズ戦。

 ONの打撃の比較で、顕著なのは好調とスランプの期間。王は本塁打を打ち始めると7試合連続など長く好調が続くが、スランプの期間も長く、1か月以上続くことがある。28打数無安打があり、19打数以上無安打が16回もありました。

 逆に長嶋は気分の切り替えが早く、スランプ期間は短い。最長で13打数無安打。スランプはすぐ抜け出す代わりに、好調も長く続きませんでした。この組み合わせがうまくはまり、「長嶋が打たなければ王が打つ、王が打たなければ長嶋が打つ」という関係が自然と出来ました。

 「史上最高の打者は?」との問いに、王、長嶋以外に、大リーグで首位打者を取ったイチローや、本塁打、打点王になった大谷翔平など多くの個人名が上がるだろうが、あえて「ON」を挙げますーー。

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 1984年の王監督の時代から藤田、長嶋、原監督まで、20年以上巨人を担当した某新聞社運動部元記者。