巨人対広島戦が28日、石川県立球場で行われ、巨人のキャベッジ外野手が、プロ野球通算11万号のメモリアル弾を達成しました。
巨人は1点を奪われて迎えた一回裏、1番の増田陸が左越え本塁打を放ち、10万9999号。二死後、前日に自打球の影響で途中交代も4番起用されたキャベッジが、打った瞬間確信の特大右越え勝ち越し本塁打を打ちました。これがプロ野球通算11万号本塁打となりました。
1号は、1936年5月4日に藤井勇(タイガース)が放ちました。以降の記念本塁打は次の通りです。
1万号・渡辺清(阪急)57年7月19日
2万号・井石礼司(東京)66年7月6日
3万号・基満男(太平洋)73年5月20日
4万号・ウイリアムス(阪急)79年6月28日
5万号・仲根政裕(近鉄)85年4月23日
6万号・広永益隆(ダイエー)90年9月26日
7万号・駒田徳広(横浜)97年9月9日
8万号・ペタジーニ(巨人)2003年9月14日
9万号・ブラウン(西武)10年4月4日
10万号・マレーロ(オリックス)17年9月29日
1号の藤井はランニング本塁打で、オーバーフェンスによる本塁打の第1号は1936年5月22日に山下実(阪急)が打ちました。
6万号の広永は、通算34本にもかかわらず、6万号のほか、パ・リーグ通算3万号、平和台球場公式戦最終本塁打、史上2人目の両リーグ代打サヨナラ本塁打など、記念本塁打を数多く打っています。
また、通算本塁打1位の868本の王貞治(巨人)など上位10傑は、だれも記念本塁打は打っておらず、8万号のペタジーニが通算233本で、82位に入っているのが、上位100傑の唯一の選手です。
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1984年の王監督の時代から、藤田、長嶋、原監督まで、20年以上巨人を担当した某新聞社運動部元記者。