プロ野球の阪神タイガースなどで活躍し、歴代3位の通算320勝を挙げた小山正明さんが18日、心不全で死去しました。90歳でした。
兵庫県出身で、1953年、高砂高校から阪神にテスト入団。59年の天覧試合で先発登板しました。62年に27勝してセ・リーグ優勝に貢献、沢村賞にも輝きました。63年オフに強打者の山内一弘さんとの「世紀のトレード」で大毎(現ロッテ)へ移籍。64年は30勝で最多勝のタイトルを獲得しました。
通算成績は、400勝の金田正一さん(巨人など)、350勝の米田哲也さん(阪急など)に次ぐ320勝(232敗)を記録し、3159奪三振、防御率2.45。73年の引退後は阪神などでコーチを務め、2001年に野球殿堂入りしました。
入団当初は速球の評価が高かったが、一軍に呼ばれ、「初代ミスタータイガース」の藤村富美男さんら主力打者の打撃投手を務めるようになりました。この際、球が乱れようものなら、練習にならんとばかりに打席を外されたと言います。「藤村さんらは最初は怖かった。近寄り難い雰囲気がありました」。張り詰めた緊張感の中で投げ込むうちに、荒削りだった制球が磨かれ、「針の穴を通すコントロール」につながったのだと、聞いたことがあります。
最大のライバルだった長嶋茂雄さん、王貞治さんとは幾度となく対戦し、「2人ともボール球に手を出さなかった。対戦する時はコントロールに一番神経を使いました」と、「ON仕留めるのはコントロール」と公言していました。プロ野球史上ただ1人「両リーグ100勝」を刻んだレジェンドが、鬼籍に入ったが、今年2月3日に死去した吉田義男さん(享年91)とともに阪神ファンにとっては、悲しい知らせとなってしまいました。
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1984年の王監督の時代から、藤田、長嶋、原監督まで、20年以上巨人を担当した某新聞社運動部元記者。