プロ野球・ロッテの捕手として活躍した袴田英利さんが、2月上旬に病気で死去していたことが31日、わかりました。69歳でした。

 袴田さんは法大で江川卓(巨人)とバッテリーを組み、1978年にドラフト1位でロッテに入団。「マサカリ投法」で知られる村田兆治(2022年死去)の女房役を務めるなど、通算911試合に出場。引退後はロッテ、西武などでコーチを歴任しました。

 袴田さんは、静岡自動車工業高校時代の1973年、静岡県大会決勝で静岡高校に敗れて甲子園出場を逃すが、同年ドラフト3位でロッテに指名されました。しかし、入団せずに法大に進学。高校時代の同期に達川光男(広島商ー東洋大ー広島)、山倉和博(愛知・東邦高ー早大ー巨人)、中尾孝義(兵庫・滝川高ー専大ープリンスホテルー中日、巨人、西武)、堀場秀孝(長野・丸子実ー慶大ープリンスホテルー広島、横浜大洋、巨人)と、プロ野球で活躍した捕手が5人もいました。

 法大時代は47勝をマークした江川らとともに「法大黄金時代」を築き、5度のリーグ優勝を経験。ベストナインにも4度選ばれました。

 ロッテ時代は、村田とバッテリーを組み、「村田さんの視力が悪かったこともあり、サインと違うボールが来ることも多かったため、先入観のいらないノーサインの方が良いと思った」と、ノーサインで受けることが大半だったと言います。

 村田は現役引退のラスト登板で「俺のキャッチャーはお前以外にいない。だから俺とともに去るんだ」と、2人揃って現役を引退したエピソードもあります。村田死去後は、離島を巡る野球教室「離島甲子園」を受け継ぎました。

 江川、村田という偉大な投手の捕手を務めた袴田さん。「捕手冥利」に尽きる野球人生だったことは間違い無いと思います。

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 1984年の王監督の時代から、藤田、長嶋、原監督まで、20年以上巨人を担当した某新聞社運動部元記者。