18日東京ドームで開幕する米大リーグ・ドジャース対カブス戦のため、両チームは13日、空路来日しました。開幕に合わせるように、15日からテレビCMなどで「投手・大谷翔平対打者・長嶋茂雄」の警備会社のCMが流されることになりました。その中で、大谷が「60年前、1人の日本人がアメリカから実は声がかかっていた。今、僕はその場所で挑み続けています」と述べています。

 大谷が所属するドジャースに、もしかしたら在籍した可能性があったのが「ミスタープロ野球」と言われた長嶋。1961年、当時の巨人はドジャースのキャンプ地だった米フロリダ州ベロビーチでキャンプを行っていました。その時、ドジャースのオルストン監督から「きみ、大リーグでヤル気はあるかい?」と声を掛けられ、思わず「ハイ、機会がありましたら」と答えたそうです。

 その2年後の63年オフ、ドジャースのオマリー会長が来日して、巨人に「長嶋トレード」を申し込んだと言います。巨人は球界一のスター流出に「NO!」と拒否。実現していたら、日本人メジャー第1号でした。

 「もし、大リーグに入っていたら、どうなったと思いますか」と本人に尋ねたことがあります。その答えは「巨人では3番、4番を打っていたが、向こうでは中距離ヒッターで、打率2割7、8分辺りで1、2番タイプだったでしょうね」。

 その後、村上雅則、野茂英雄、イチロー、松井秀喜、そして大谷など、メジャーで活躍する日本人選手が現れていったが、もしミスターがドジャースに入っていたら、もっと早く大リーグの開幕戦が日本で行なわれていたかも知れませんーー。

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 1984年の王監督の時代から、藤田、長嶋、原監督まで、20年以上巨人を担当した某新聞社運動部元記者。