明治神宮野球大会最終日が25日、神宮球場で行われ、高校の部決勝では横浜(神奈川)が広島商(広島)を4-3で破り、27年ぶり2度目の優勝を決めました。来春の選抜大会「神宮大会枠」は関東地区に与えられることになりました。大学の部は青学大(東都)が創価大(関東5連盟)に7-3で勝って初優勝を飾り、春秋のリーグ戦、全日本大学野球選手権との「4冠」を達成しました。
横浜の優勝は1997年以来だが、この時は「平成の怪物」と呼ばれた松坂大輔を擁し、翌年の甲子園春夏連覇につながりました。そのきっかけは、松坂が2年時の97年夏の県大会。横浜商との準決勝で、自らの暴投で九回裏にサヨナラ負けを喫したこと。その後の横浜は、秋の秋季神奈川県大会ブロック予選から98年「かながわ・ゆめ国体」まで、公式戦44連勝を記録しました。
その大黒柱は、エースの松坂。37試合に登板し、32勝0敗。投球回270、奪三振324、防御率1.13という圧倒的なものでした。なにしろ、夏の甲子園ではPL学園(大阪)との準々決勝で延長17回250球の熱湯、翌日の明徳義塾の準決勝は八回に6点リードされた場面からの大逆転(1イニング登板)。翌日の京都成章との決勝戦ではノーヒットノーランという奇跡的な投球を披露したのでした。
一方、今大会の横浜はエース奥村頼人(2年)と織田翔希(1年)の「2枚看板」で優勝を達成しました。
決勝戦は、背番号「10」の織田が先発、初回には3者連続三振の会心の投球を見せると、六回まで無失点の好投。七回には味方の失策から2点失い、九回には先頭打者から連打を浴びるなどで一死二、三塁のピンチを背負いました。ここで背番号「1」の奥村がマウンドに登り、相手打者を三塁ゴロ、空振り三振に抑え、1点差で逃げ切りました。
村田浩明監督は「織田の先発が多かったが、奥村も投げたいという気持ちを強く持っている」と語るように、競い合う両投手で、今大会3試合を計4失点に抑えることが出来ました。
松坂の快投で、明治神宮大会から翌年の、春夏甲子園、秋の国体と無敗で制した横浜。今回は、「2枚看板」の投手で、27年前の再現成るか、注目されます。
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1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。