早稲田実業高校、早稲田大学、国鉄(現ヤクルト)、中日で活躍した徳武定之さんが14日、悪性リンパ腫で死去しました。86歳でした。

 早実では王貞治らと1956年夏の甲子園に出場。早大では主将だった60年秋の東京六大学野球リーグ戦で、慶大と優勝決定戦第3戦まで争った「早慶6連戦」を制しました。61年に国鉄に入団すると、1年目の初出場から6年連続、821試合連続出場の記録を立て、現在もプロ野球記録となっています。

 高校、プロ時代も華々しい活躍だったが、最も記憶に残るのは、早慶6連戦。早大の4番には徳武、慶大の1番には、後に阪神の名二塁手、監督として一時代を築いた安藤統男がいました。

 最終週の早慶戦を前に、1位の慶大は8勝2敗、勝ち点4。2位早大は7勝3敗、勝ち点3。慶大は2勝して勝ち点を挙げれば優勝。早大は連勝すれば優勝で、早大の2勝1敗だと優勝決定戦になるという状況でした。

 1回戦は早大が2-1で勝ち、2回戦は慶大が4-1で雪辱。3回戦は3-1で早大が勝ち、ともに9勝4敗、勝ち点4で優勝決定戦となりました。その第1戦は延長11回で1-1の日没引き分け。第2戦も延長11回0-0の日没引き分け。第3戦は早大が3-1で勝ち、20度目の優勝を決めました。

 この6連戦は数々の伝説を残しました。①早大の安藤元博投手は5試合に完投、特に3回戦からは4試合連続の完投で49イニング、564球を投げ抜いた。②慶大の応援席にチアリーダーが登場し、日本の野球応援初のチアリーダーによる応援と言われた③6試合連日満員で、主催者発表で合計38万人が詰めかけた④5戦目の延長11回裏、慶大は無死満塁の好機で渡海昇二が大きな右翼飛球を放ったが、早大の右翼手・伊田保生が「奇跡のバックホーム」で三塁走者を刺したーーなどなど。

 今年の秋季リーグ戦で、早大は明大との優勝決定戦を制して48度目の優勝を飾ったが、徳武さんも生前に母校の優勝を見ることが出来たのが何よりでした。

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 1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。