米大リーグワールドシリーズ、ヤンキース対ドジャース第5戦が30日(日本時間31日)、ヤンキースタジアムで行われ、ドジャースが7-6でヤンキースを破り、4勝1敗で4年ぶり8度目のワールドチャンピオンに輝きました。MVPは第1戦から4戦まで4試合連続本塁打を放ち、12打点を挙げたドジャースのフリーマンが獲得しました。
試合は、三回までにヤンキースがジャッジ、スタントンの本塁打などで5点のリードを奪ったが、五回にドジャースはヤンキースの3つの守備のミスを突いて一挙に5点入れ同点。六回にヤンキースがスタントンの犠飛で勝ち越したが、ドジャースは八回、無死満塁からラックスの犠飛で同点、ベッツの犠飛で勝ち越し。九回は第3戦に先発したビューラーを投入して逃げ切りました。
ワールドシリーズの最大点差の逆転は、1925年のパイレーツの「4点差」で、5点差を逆転するのは初めての快挙でした。
ドジャースの大谷翔平は、第2戦で左肩を亜脱臼した影響もあって、19打数2安打の打率1割5厘で、本塁打も打点もなかったが、ポストシーズン全体では61打数14安打の打率2割3分、3本塁打、10打点でした。
大谷は「ただただ嬉しい。ナイスゲームだったと思います。新しいチームに来て、最高の終わり方ができたかと思います」と、喜びを表現しました。
同僚の山本由伸は、第2戦で七回途中まで投げて1安打、1失点と好投。日本人投手では2007年の松坂大輔(レッドソックス)以来2人目となるワールドシリーズの勝利投手になりました。第6戦にもつれ込んだら中5日で先発の予定だったが、2度目の登板機会を迎える前に、チームが勝負を決めました。
山本は「本当に嬉しく、あっという間で最高の1年でした」と語った後、大谷について「プレー中も、普段の時も心強い存在でした」と。先輩に敬意を表していました。
大谷はシリーズ中に、山本はシーズン中に故障するなど、苦難の経験をしたが、最後はそうしたことを吹き飛ばす最高の結果が待っていたことに感謝していた様子でした。
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1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。