15日(日本時間16日)は、大リーグの「ロベルト・クレメンテ・デー」となり、全選手がクレメンテが付けていた背番号「21」にちなんだ「㉑」のバッジを付けるとともに、各球場で様々なイベントが行われ、関係する選手の多くが活躍しました。

 1972年12月31日、ニカラグア地震の被災者への球宴物資を提供するため、ニカラグアへ向かう途中に航空事故に巻き込まれ、死亡したクレメンテ。55年から72年までパイレーツ一筋でプレーし、その間、多くの慈善活動に携わっていたクレメンテを讃える「ロベルト・クレメンテ・デー」。

 ピッツバーグのPNCパークで行われたパイレーツ対ロイヤルズ戦では、パイレーツの全選手、監督、コーチが、背番号「21」のユニホームでプレー。クレメンテの家族が始球式に登場した一戦に4-3で勝利を飾りました。

 アトランタのトゥルイストパークで行われたブレーブス対ドジャース戦では、ドジャースのベッツが背番号を「50」から「21」に変えて出場、2-2の同点で迎えた九回、大谷翔平の申告敬遠で迎えた二死一、三塁で、ベッツが勝ち越しの左前適時打で勝ち越し。ドジャースはさらに3連続本塁打などでこの回計7点もぎ取り、9-2でブレーブスを破りました。

 MLB全30球団からそれぞれ選出される、今季の「ロベルト・クレメンテ賞」候補で、ドジャースからはベッツが選ばれました。

 ニューヨークのヤンキースタジアムで行われたヤンキース対レッドソックス戦では、ヤンキースのジャッジが「99」から「21」のユニホーム姿で、三回にバックスクリーンに特大の53号2ランを放ち、自己最多の132打点マークしました。ヤンキースは5-2でレッドソックスを破りました。ジャッジは昨季の「ロベルト・クレメンテ賞」を受賞しました。

 日本のプロ野球でも、「ロベルト・クレメンテ賞」にちなんだ「ゴールデンスピリット賞」が設けられているが、「ロベルト・クレメンテ・デー」の日本版も設け、「野球と慈善事業」をファンに強く印象付けていって欲しいと思います。

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 1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。