西武対楽天戦が12日、ベルーナドームで行われ、楽天が7-3で西武を破りました。この結果、西武は今季85敗(40勝2分け)を喫し、1971年の球団ワースト記録を更新してしまいました。
西武は相手を4安打上回る12安打を放ちながら、打線がつながらず3点のみで、初登板の高卒新人(神奈川・横浜高校)杉山遥希を援護できませんでした。
年間敗戦のプロ野球記録は、61年の近鉄の103敗(36勝1分け)で、100敗以上はこの年の近鉄のみです。次は55年の大洋の99敗(31勝)。
西武は、50年の「西鉄クリッパース」としての球団創設以来、「西鉄ライオンズ」、「太平洋クラブライオンズ」、「クラウンライターライオンズ」、「西武ライオンズ」、「埼玉西武ライオンズ」と、親会社と球団名の変遷がありました。
75年の歴史の中で、パ・リーグ優勝は23回、日本一は13回の輝かしい歴史がある一方、「黒い霧事件」で6選手が八百長行為に関与していたなど「負の歴史」も抱えていました。
球団の成績も、Aクラスが50回に対し、Bクラスは24回(うち最下位7回)と浮き沈みが激しいが、それでも年間最多敗戦は84敗でした。
三原脩監督の下、大下博、中西太、稲尾和久らの「野武士軍団」で56年~58年に3年連続日本一になった時代や、森昌彦監督の下、秋山幸司、清原和博、デストラーデの「AKD砲」や工藤公康、渡辺久信らの投手陣で86年~88年、90年~92年に2度の3年連続日本一を達成したパ・リーグを代表する強豪球団だった西武。
2度の「黄金時代」を誇るチームの再建を急がないと、ライオンズファンは悲しむばかりです。
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1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。