第106回全国高校野球選手権は13日、2回戦4試合が行われ、智弁和歌山対霞ヶ浦戦で、3点を追う智弁和歌山は八回二死一塁で、高桑京士郎が左翼に今大会3号2ランを放つと、続く花田悠月も左越えソロ本塁打を打ち、低反発金属バット導入後、初めて「連続本塁打」、「1試合2本塁打」を達成しました。この2発で同点としたが、試合は延長十一回、5-4で霞ヶ浦に敗れました。

 今春の第96回選抜高校野球大会から、選手の打球直撃による故障防止などのため、低反発の金属バットを使用することが決められました。新基準の金属バットは、直径を67㍉から64㍉未満まで細くなり、表面の金属は3㍉から4㍉以上と肉厚となったことで、従来のバットより打球の平均速度が3%以上抑えられ、飛距離も約5㍍低下することになりました。

 この影響で、選抜大会での本塁打数は前年の12本から3本に減り、うちランニングホームランが1本だったので、柵越え本塁打はわずか2本だけでした。それが2人の打者が続けて柵越えしたため、球場は騒然とした雰囲気になりました。

 今大会も、開幕からなかなか本塁打が出ず、初本塁打は大会第6日の19試合目に行われた東海大相模(神奈川)対富山商(富山)で、東海大相模の柴田元気が右翼席に放ったソロ本塁打が今大会第1号でした。19試合目での大会第1号は、1964年の17試合目で北海(北海道)の高屋敷日出夫が打ったのを上回る遅い記録(本塁打ゼロの年10度)でした。

 この日の連続本塁打では、最初に打った高桑は低反発金属バットだったが、花田は低反発金属バット導入後、甲子園では初の木製バットでの本塁打でした。

 春のセンバツから、打球速度が抑えられて飛距離が出ない金属バットより、木製バットを使う選手が増えているが、花田の木製バットによる本塁打で、今後、さらに木製バットを使う選手が増えていくと予想されます。

 1974年夏の大会で、初めて金属バットが導入された時、全国優勝を果たした銚子商(千葉)の2年生4番打者だった篠塚和典(元巨人)は、自分の打撃はバットに球を乗せ、しなりで弾く感覚で打っていたが、金属バットにはそれがないため、木製バットを使っていました。

 木製バットを使う選手が増えることは、選手の打撃技術向上にも役立つかもしれません。

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 1974年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。