4日の巨人対ロッテ戦(東京ドーム)は「レジェンズデー」と銘打ち、エースナンバー「18」を背負った藤田元司、堀内恒夫、桑田真澄、杉内俊哉、菅野智之の活躍が大型ビジョンで紹介されるなど、特別な番号を背負った「巨人のエース」にスポットを当てる企画を実施しました。

 5月1日(日本時間2日)には、大リーグの今永昇太(カブス)、山本由伸(ドジャース)、前田健太(タイガース)の日本人先発投手3人が史上初めて同日勝利を挙げたが、3投手とも背番号「18」だったことが話題に上りました。

 初めて正式に背番号を採用したのは、1929年のヤンキースで、当時は1番打者が「1」、2番打者が「2」のように打順通りに割り振られていました。ただ、その後は日本プロ野球のエースナンバーのようなものはなく、全体的に野手が小さい番号を、投手が大きい番号を背負う傾向があるくらいです。

 一方、日本は、高校野球が投手は「1」、右翼手は「9」のようにポジション別に付けられたり、東京六大学野球では監督が「30」、主将が「10」を付けるなど、背番号が決められているケースが多く見られます。

 1936年に日本職業野球連盟(今のプロ野球)設立当初は、多くの球団が打順をそのまま背番号にしていたが、大阪タイガースは名前の「いろは順」、阪急軍は「契約順」に付けていました。

 エースナンバーは「18」の球団が多いが、中日は杉下茂、権藤博、星野仙一、小松辰雄らの「20」がエースナンバーとなっています。捕手は、巨人のV9当時の森昌彦(現・祇晶)が「27」を付けていたことから、西武の伊藤勤や、ヤクルトの大矢明彦、古田敦也など「27」の名捕手が多くなっています。

 永久欠番は、1939年、難病のため引退したヤンキースのルー・ゲーリッグの「4」を欠番としたことが最初で、黒人選手初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソン(ドジャース)の「42」は全球団の永久欠番となっています。

 プロ野球では、巨人が王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」、腸チフスのため33歳で亡くなった黒沢俊夫の「4」、沢村栄治の「14」、川上哲治の「16」、金田正一の「34」など、多くの球団で永久欠番を決めています。

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 1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。