ドジャース対メッツが19日(日本時間20日)、ドジャースタジアムで行われました。ドジャースの先発は山本由伸、「2番、DH」には大谷翔平が起用されました。

 山本は一回、ニモをカーブで見逃しの三振、マルテを直球で左飛、リンドーをスプリットで見逃しの三振と、三者凡退で抑えました。

 ドジャースはその裏、1番ベッツが遊直、2番大谷が二ゴロ、3番フリーマンが中直に打ち取られ、開幕から22試合目で初めて初回の攻撃で三者凡退となりました。

 山本は二回、アロンソをカーブで空振りの三振に仕留めた一死後、スチュワートに右越え本塁打を浴び、1点献上。アルバレスの捕ゴロ失策で一死二塁となり、マクニール三振の後、ベイダーに中前適時打を打たれ、この回2点失いました。続くウェンデルはスプリットで空振りの三振。

 山本は三回、ニモを四球、マルテ左越え二塁打、リンドー中飛の一死二、三塁からアロンソの右前適時打とスチュワートの中犠飛で、この回も2点失いました。

 山本は四回も一死、二、三塁のピンチを背負ったが、後続を連続三振に打ち取りました。

 ドジャースはその裏、先頭の大谷が四球。

 山本は五回をわずか8球で三者凡退とリズムを取り戻すと、六回も無失点で切り抜けました。結局、この日は6回、投球数99、奪三振9、被安打7、四球1,失点4で勝敗は付きませんでした。

 大谷は五回、二死一、二塁の第3打席で右前適時打を打ちました。得点圏での打席では開幕戦以来21打席ぶりの安打でした。大谷はこの試合、4打数1安打1打点、1盗塁で、打率は3割5分6厘。この日も日本選手最多記録を更新する176本塁打は出ませんでした。

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 1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。