ドジャース対ナショナルズが15日(日本時間16日)、ドジャースタジアムで行われました。1947年4月15日に初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンがデビューしたため、毎年この日は「ジャッキー・ロビンソンデー」として、大リーグ全球団の選手がロビンソンの背番号「42」を付けてプレーします。

 ナショナルズは一回、二死三塁からグラスノーの暴投で1点先取。

 松井秀喜に並ぶ175本塁打でメジャー日本選手最多本塁打をマークしているドジャースの大谷翔平は、「2番、DH」で出場。その裏、一死走者なしで第1打席を迎え、カウント2-1から左腕パーカーのカーブをジャストミート、打球は一、二塁間を破りました。続くフリーマン右前打の一、三塁からスミスの中犠飛でドジャースは同点。

 ドジャースは二回、一死三塁からテーラーの中犠飛で勝ち越し。

 ナショナルズは三回、エイブラムズの右中間本塁打で同点とし、一死三塁からギャロの右翼線適時二塁打で勝ち越し。

 ドジャースはその裏、一死走者なしで大谷の第2打席が回り、カーブを空振りの三振に倒れました。

 ナショナルズは五回、二死一、二塁からガルシアの3ランで6-2と4点のリードを奪いました。

 ドジャースは六回、大谷が先頭打者として第3打席を迎え、打撃妨害で出塁。今季3個目の盗塁も決めて無死二塁とし、さらに暴投で三塁へ進みました。一死後、スミスの三塁ゴロの間に1点返しました。七回は二死一、二塁で大谷に第4打席が回り、センターへのライナーに倒れました。

 ドジャースは八回二死二塁からマンシーの右前適時打で1点返したが、反撃もここまでで、試合は6-4でナショナルズが競り勝ちました。

 ロビンソンが在籍したドジャースに大谷が移籍して、初の「ジャッキー・ロビンソンデー」。エンゼルス時代の2年前は1試合2本塁打を記録したが、この試合はアーチはかけられず、日本選手最多本塁打176本目はなりませんでした。結局、大谷は3打数1安打、1盗塁で、打率は3割3分8厘。

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 1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。