プロ野球の春季キャンプが今日1日から始まるが、前日に続いてキャンプ地の歴史を綴っていきたいと思います。 

 現在は9チームが集う「キャンプ銀座」となった沖縄県だが、最初にキャンプを張ったのは、1981年から名護市営球場で開始した日本ハムではなく、57年の大映スターズ(現ロッテの前身の一つ)でした。「本土復帰前の沖縄県で、なぜか?」と思われるが、沖縄で大映のプリントを配給していた「沖縄映画会社」がキャンプ費用を負担してくれたからだそうです。

 ただ当時の沖縄には本格的な野球場はなく、那覇空港の滑走路を借りてランニングをしていました。しかし、1000㍍ほどの直線コースを走っていると、急に米国空軍の小型機が着陸し退去を伝えられました。球団は許可を取っていたが、空軍部隊との連絡が不十分だったためだが、選手は怖い思いをしたことでしょう。

 中日は、53年に静岡県大仁町(現伊豆の国市)の女子高校だった大仁高校の校庭でキャンプが行われました。当時は高校の校庭で一軍公式戦が開催されたこともあり、キャンプが教育施設で行われることに驚きはありませんでした。ただ、「女子校の校庭」でのキャンプは、さすがに例はありませんでした。

 現在なら、女子高生たちが練習を見に来て大騒ぎ、となるところだが、当時は全く騒がれず、報道陣もほとんどいなかったそうです。ただ、同校を卒業した女性が「息子に女子校でキャンプが行われたと言っても信じてもらえない」と球団に「証言」を求められたことがあったそうです。

 67年の大洋ホエールズ(現DeNA)は、静岡市の県営草薙球場でキャンプを張ったが、3日間雨が続いた後、4日目に雪に変わって3㌢の積雪となりました。そこでチームはキャンプ地を急遽、阪神の本拠地の甲子園球場に移しました。ところが甲子園でも大粒の雪に見舞われ、3日間行っただけで、再び草薙球場に戻ったそうです。

 信じられないような話ばかりだが、さて、今年のキャンプでも「異変」が起きるでしょうか――。

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 1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。