オリックスからポスティングシステムを利用してドジャースへ移籍した山本由伸の背番号は、オリックス時代から付けていた「18」を、そのまま付けることになりました。

 この背番号「18」。日本のプロ野球では、長らく「エースナンバー」と言われているが、その理由は、諸説があるようです。

 一つは、1リーグ時代の1947年、背番号「18」を背負った白木義一郎(東急=26勝)、野口二郎(阪急=24勝)、真田重男(太陽=23勝)、梶岡忠義(阪神=22勝)の4人が20勝以上をマークし、多くのチームで背番号「18」が勝ち頭となったことです。

 二つめは、巨人が57年の新人王を獲得した藤田元司の背番号を「21」から「18」に変更し、その後も大活躍。堀内恒夫も新人王獲得の翌67年から「21」→「18」と変更されて受け継ぎ、「V9」の中心投手として働いたことから、巨人では「18」が「エースナンバー」として定着し、桑田真澄、杉内俊哉、菅野智之も付けています。

 三つめは、歌舞伎界で得意としていた演目を「十八番(おはこ)」といったことから、という説もあります。

 もっとも、中日は杉下茂、権藤博、星野仙一、小松辰雄の背番号「20」を「エース番号」としています。また、日本ハムはダルビッシュ有が背負った背番号「11」を大谷翔平が受け継ぎ、大谷のメジャー移籍後は空き番号となるなど「特別な番号」となっている例もあります。

 大リーグでは「18」は野手が付ける番号という認識が強く、日本のような「18」がエースということはありません。強いて言えば、史上最多の5714奪三振のノーラン・ライアンの背番号「34」を付けたい投手が多いことくらいです。

 実は「エース」が、そのチームで最高の投手のこととして呼ぶようになったのにも諸説があります。英語圏におけるトランプカードの「A(エース)」には「第一の」、「高貴な」、「高品質で特上の」という意味があることや、19世紀のスター投手だったエイサ・ブレイナードの「エイサ」に由来する、などが挙げられます。

 「日本のエース」だった山本が、背番号「18」のままメジャーでも活躍できるか、注目されます。

    ◇◇◇◇

 1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。