プロ野球阪神タイガースの本拠地で、春夏の高校野球のメッカとして知られる甲子園球場は、今年、誕生100年を迎えます。

 甲子園球場が建設されるきっかけとなったのは、1923年の第9回全国中等学校優勝野球大会の決勝戦が地元の甲陽中学と和歌山中学の対戦となり、当時の会場だった鳴尾球場の仮設スタンドでは観客を収容しきれなくなったことがあげられます。

 同大会主催の大阪朝日新聞社が、鳴尾球場の所有者である阪神電鉄に対し、本格的な野球場建設を提案。これに阪神電鉄もOKを出し、24年3月11日起工式、同年8月1日に竣工式が行われました。

 球場名は、同年が十干十二支の最初の組み合わせで縁起の良い甲子年(きのえねとし)だったこともあり、「甲子園大運動場」と命名されました。

 球場の設計は、当時のニューヨーク・ジャイアンツの本拠地だった「ポロ・グラウンズ」をモデルにしたと言われました。現在の球場よりかなり大きな広さがあり、両翼110㍍、中堅120㍍に対し、左右中間が128㍍もありました。34年の日米野球が同球場で行われた時、ベーブ・ルースが「でかすぎだ」と驚いたという逸話も残っています。

 スタンドは「5万人収容」と大きなものだったが、29年にアルプススタンド、36年には外野スタンドが増築され、公称の収容人員は「7万人」と言われました。

 その前年の35年には阪神電鉄が職業野球の「大阪野球倶楽部(球団名・大阪タイガース)」を設立し、甲子園球場を活動拠点としました。47年にはあまりの広さで本塁打が出にくいことから、ラッキーゾーンが設けられました。

 昨年は阪神タイガースが38年ぶりの日本一となり、夏の全国高校野球選手権では慶応高校(神奈川)が107年ぶりの全国優勝を飾ってオールドファンから喝さいを浴びるなど、甲子園球場は大いに盛り上がりました。誕生100年を迎える今年の甲子園球場で、どんなドラマが生まれるか、注目していきたいと思います。

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 1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。