日本ハムからソフトバンクへ移籍した近藤健介が26本塁打、87打点で二冠を獲得しました。世界一に輝いたWBCでも活躍した近藤だが、移籍1年目で打撃二冠は2017年のアルフレド・デスパイネ(ソフトバンク)以来6人目で、日本選手では1950年の小鶴誠(松竹)と別当薫(毎日)以来となります。

 三冠のうち、一つだけ逃した打率は、1位の頓宮裕真(オリックス)から4厘差の2位。打率だけ2位で三冠王を逃したのは2003年のアレックス・ラミレス(ヤクルト)以来11人、13度目で、移籍1年目は3人目です。あと2安打打てば頓宮を抜いて史上初の移籍1年目の三冠王になれただけに、惜しまれます。

 しかし、近藤の前年までの打撃を見ると、むしろ本塁打、打点の方がタイトルには程遠かったといえます。これまで本塁打は21年の11本、打点は18、21年の69点が最多で、大幅増での自己記録更新でした。この理由に本拠地の変化が大きかったと言えます。札幌ドームでは通算18本で、最多が18、22年の4本だったが、ペイペイドームでは15本塁打、48打点と増やしました。

 さらに、「投高打低」で例年より低調な数字だったことも影響しました。「30本塁打未満、90打点未満」の二冠は、2リーグ制以降、1960年の藤本勝巳(阪神)だけで、パ・リーグでは初めてでした。

 移籍し、本拠地が変わっても、選球眼の良さは変わりませんでした。四球数はリーグ歴代3位の109個で、17年から7年連続のベスト10入り。四球率は1割7分8厘で、18~20年に次いで4度目のリーグ1位となりました。通算の四球率は1割5分6厘で、王貞治(巨人)の2割1厘、落合博満(ロッテなど)の1割5分9厘についで3位。敬遠が王の427個、落合の160個に対し、近藤は32個しかなく、選球眼で高い四球率を記録しているといえます。

 これまでは、日本ハム時代やWBCで「大谷翔平(ドジャース)と仲のいい選手」としてマスコミに扱われることの多かった近藤だが、今年は「脇役から主役」へ大変身した1年と言えるでしょう。

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 1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。