昨年、22歳の若さで三冠王に輝いたヤクルトの村上宗隆。昨年の打率3割1分8厘、56本塁打、134打点から、今年は2割5分6厘、31本塁打、84打点にダウンしました。

 規定打席に達して前年から25本塁打、50打点以上減らしたのは、2014年のウラディミール・バレンティン(ヤクルト)以来6人目で、日本選手では1951年の小鶴誠(松竹)と西沢道夫(名古屋)以来でした。

 それでも、本塁打はリーグ2位、打点は4位だったが、打率は20位に急降下と、特に打率での落ち込みが際立っていました。村上以前に三冠王を獲得した7人、11度の翌年の打撃三部門の順位を見ていくと、1位が最多の15度。最も順位を下げたのは75年の王貞治(巨人)の打率と、83年の落合博満(ロッテ)の打点で、ともに10位でした。

 つまり、三冠王の翌年はどんなに悪くても、打撃三部門の順位はベスト10に入っていたが、村上の打率での20位は、最も急降下した順位となりました。

 今年成績が前年より悪くなった理由は、ビジター球場での不振と、右投手を打てなかったことが挙げられます。

 神宮球場などホームの球場では、打撃三部門とも昨年の成績を上回ったのに対し、ビジター球場での22年→23年の数字は次の通りとなります。打率が3割6分6厘→2割1分、本塁打が33本→6本、打点が81点→27点。ビジター球場での本塁打は6月25日のバンテリンドームの中日戦で打った12号が最後で、7月以降は敵地で本塁打ゼロのまま、シーズンを終えました。

 ビジター球場での右投手と対戦したケースでも、144打数25安打の打率1割7分4厘しか打てなかったことが、2年連続三冠王を逃した大きな理由の一つでした。

 「天国から地獄」へといった感じの村上の2年間でしたが、まだ23歳。来年は、ビジター球場で右投手を打ちまくれば、二度目の三冠王も見えてくると思います。

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 1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。