米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平は28日(日本時間29日)、敵地のブルージェイズ戦に「2番、指名打者」で出場し、一回に39号ソロホーマーを打ちました。しかし、1-4と3点リードされた九回一死満塁の場面で、大谷が両ふくらはぎに痙攣(けいれん)を訴えたため、代打を送られ交代。同スコアのままエンゼルスは敗れました。

 チームも大谷も「晴れのち大嵐」の一日でした。一回、一死無走者で打席に立った大谷は、奪三振数リーグトップの右腕ガウスマンが投げた初球の150キロの内角速球を捉えると、打球速度166・5キロ、飛距離121メートルの当たりが右翼席に飛び込みました。これで2試合をまたいで3打席連続連続本塁打。この記録は日米を通じて自身初めてのことでした。

 三回一死無走者での第2打席は空振り三振。六回一死無走者で迎えた第3打席は、前の打席で三振した外角低めのチェンジアップにバットを合わせ、左前に落とす技あり安打。八回の先頭打者としての第4打席は遊ゴロでした。

 エンゼルスは七回の無死満塁で無得点に終わるなど拙攻が続き、大谷の打席では常に無走者でした。しかし、3点リードされた九回。一死満塁と、本塁打が出れば逆転の場面で大谷に打席が回ってきました。ところが大谷に代打ステファニックが告げられ、球場は騒然とし、結果は三振。続くモニアックも二直に終わりました。

 試合後、エンゼルスのネビン監督は会見で「大谷の第4打席の直後、彼が両ふくらはぎに痙攣を訴えたため代打を送った。現時点では負傷者リストに入れることは考えていない。この2日間はかなりの仕事量だった。まずは明日の様子を見てからだ」と話していました。

 前日も痙攣で途中交代したが、この日は最初の打席での本塁打など2安打を放ち、試合終盤までは安心して見ていただけに、最後の最後での交代劇に誰もが驚いたことでしょう。

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 1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。