米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平は23日(日本時間24日)、エンゼルスタジアムで行われたパイレーツ戦に「2番、指名打者」で出場、7-5のチームの勝利に貢献する36号本塁打を打ちました。

 一回表、レイノルズの本塁打で1点先取されたエンゼルスはその裏、一死無走者で大谷が打席に。フルカウントからケラーが投げた7球目の内角低めのカットボールをフルスイングすると、打球速度181・7キロ、飛距離125メートル、打球角度19度、滞空時間3・99秒という低い弾道のライナーが中堅フェンスを越え、5試合ぶりの36号本塁打で同点に追い着きました。

 大谷は4月30日(同5月1日)の敵地で行われたブルワーズ戦で、7号ソロホーマーを放ったが、この本塁打は打球速度183・9キロ、飛距離125・9メートル、打球角度39度、滞空時間6・98秒の高々と上がった美しいアーチを描いた本塁打でした。打球角度が20度、滞空時間が3秒も違う本塁打を打つことのできる大谷。

 エンゼルスのネビン監督は、弾丸本塁打について「ゴルフボールを除いて、あんな打球を今まで見たことがない。私はセンターライナーかと思った。大谷は周囲を感心させることを毎日やってくれる」と、賛辞を送りました。

 5月11日に亡くなった「怪童」と称された中西太さんは、西鉄(現西武)時代の1958年9月28日、平和台球場で行われた南海(現ソフトバンク)戦で、杉浦忠投手からスリーラン本塁打を打ったが、その時杉浦投手は「ショートライナーかと思った」ら、打球はライナーのまま左中間席に達したという伝説が残っています。

 大谷も伝説に残るような本塁打を、今後も数多く打っていくことでしょう。

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 1954年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。