18日に脳腫瘍で亡くなった元阪神の外野手・横田慎太郎さん(享年28)。米大リーグ・オリオールズに電撃移籍した藤浪晋太郎は、阪神時代に一緒にプレーした1学年下の後輩を悼み、18日(日本時間19日)のアスレチックス最後の登板となった本拠地のレッドソックス戦の七回、3番手でマウンドに上がる際、プレート後方の土に故人の名を刻みました。
横田さんは、阪神時代の2017年春、脳腫瘍が見つかり、治療を続けたが、ボールが二重に見えるなど目に影響が残り、19年に引退を決意。同年9月26日に行われたソフトバンクとのウエスタンリーグ引退試合。1096日ぶりの公式戦出場で、八回二死二塁から中堅の守備に就くと、直後の打者の中前打を処理し、ノーバウンドの本塁送球で二塁走者をタッチアウト。ボールがよく見えないのに感覚で捕球、送球の「奇跡のバックホーム」を完結させたのでした。
1996年8月21日。全国高校野球選手権決勝の松山商ー熊本工戦。1点リードされた熊本工は九回裏二死無走者から、1年生沢村幸明の本塁打が飛び出し、3-3の同点。延長十回裏、熊本工は一死満塁のサヨナラ機を迎えました。ここで松山商ベンチは投手でなく、右翼手を交代させました。
熊本工・本多大介の打球は、定位置より前に守っていた交代したばかりの右翼手・矢野勝嗣のはるか頭上へ。熊本工ファンのほとんどが「サヨナラ犠飛だ」「3度目の決勝で初優勝だ」と思った直後、矢野は大きな飛球をバックして捕球すると、矢のようなノーバウンドのストライク返球でタッチアウト。「奇跡のバックホーム」と新聞の見出しに掲載されました。結局、延長十一回、熊本工は3-6で敗れ、初優勝は成りませんでした。松山商は27年ぶり5度目の優勝を果たしました。
横田さんの逝去と、藤浪のトレードで再び取り上げられた、横田さんの「奇跡のバックホーム」。この言葉で思い出された松山商ー熊本工の名門同士の甲子園決勝での「奇跡のバックホーム」。
よく見えない中で、野球の神様が授けてくれた完ぺきな捕球と送球。誰もが「サヨナラ犠飛」だと思った直後のタッチアウト。野球はこうした「奇跡」が、想像もできない場面で起こりえるから、引き付けられるのでしょう。
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1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。