巨人ー中日戦が20日、東京ドームで行われ、フォスター・グリフィン投手の好投と大城卓三選手の満塁本塁打などで投打がかみ合った巨人が快勝し、4月6日以来の勝率5割に復帰しました。この中で印象深かったのは、秋広優人選手の「左腕攻略」の打撃でした。
巨人は二回、一死一塁で秋広優人選手が打席に立ち、マウンドには先発の左腕・小笠原慎之介投手が。ここで初球のカーブを走者進塁の意味も込めて引っ張ると、打球は一、二塁間を破り、一死一、三塁と好機を広げました。続くアダム・ウォーカー選手の遊ゴロが相手の失策を誘い、先制点を挙げました。これで主導権を握った巨人は、五回の大城のプロ初の満塁本塁打などで中日を突き放しました。
実は、秋広の打撃は前日まで打率3割5分3厘と好調だが、対左腕投手に対しては1割6分7厘と結果が出ていませんでした。原辰徳監督も、4月27日の阪神戦で、先発が好調な左腕・伊藤将司投手だったため、3試合連続安打していた秋広をスタメンから外すなど、「対左腕」に対しての信頼感は今一つでした。
こうした秋広の姿を見ていると、同じ背番号「55」の先輩・松井秀喜さんの1年目を思い出します。当時の長嶋茂雄監督は、松井を5月1日のヤクルト戦にプロデビューさせ、その試合で二塁打、翌日には高津臣吾投手(現ヤクルト監督)から初本塁打を放つなど上々のデビューでした。しかし、その後は左腕投手の時に大久保博元選手(現巨人打撃コーチ)が代打で出場するなど、左投手を打てず、6月に二軍落ち。一軍に復帰したのは8月だったが、2か月ぶりにスタメン復帰した同22日の横浜戦から23打数2安打と、不振が続きました。ところが、8月も終わろうとする31日の横浜(現DeNA)戦で、巨人キラーだった左腕・野村弘樹投手から右翼と左翼に2本塁打を打つなど猛打賞。これで目覚めた松井は、2日後も本塁打を含む4安打を放ちました。さらに9月12日には初めて3番に入り、11本塁打でルーキーシーズンを終えました。
秋広も、この試合で左腕・小笠原でもスタメン出場し、安打を放ったように、原監督からの信頼感を勝ち得て、実績も残していけば、「55」の先輩に近付いていけるでしょう。
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1984年の王監督の時から藤田、長嶋、原監督の時代まで20年以上、巨人を担当した某新聞社運動部元記者。