中受界隈でお馴染みの、朝比奈あすかさん。
2024年に刊行された新作『普通の子』を、娘たちに勧められて読んでみた。
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元々は、刊行されてすぐに夫が長女に買ってあげたもの。
長女はその当時に読んだらしい。
次女はこの春休みに読んでいた。
次女は読み終えてすぐに、「怖かった。ママも読んでみてよ」と勧めてきた。
長女にも感想を聞いてみると、やはり「怖かった」と。
え?「こわい」?
「こわい」って何?
朝比奈あすかでしょ。
小学生の話でしょ。
さすがにホラーはないっしょよー。
しかし、読んでみると…
うん、たしかに怖かった。
母も「こわいこわい」言いながら、一気読みした。
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あらすじはさておき… ←さておくんかい。
母が怖かったこと。
わが子であっても、親の知らない一面がある。
生まれた時から、一番近くでその成長を見守り、今も毎日会って、顔を合わせて、
だから、子の一番の理解者は私たち親であるという自負が、母にはある。
しかしそれでも、親が知っている子供は、その子の一部にすぎない。
親が思う「うちの子はこういう子」という評価、見立ては、その子の一面でしかない。
子供は親には見せない一面を持つ。
自分もそうだった。たしかにそうだった。
だから、当然ちゃ当然だが、でもこわい。こわいよー。
「自分は子供の頃こうだった」という過去の記憶はあてにならない。
子供時代の記憶は、自分に都合よく解釈され、美化されたものに置き換わっている可能性がある。
自分の認識が実はズレていて、本当のところは、誰かをひどく傷つけていたかもしれない。
そしてそのことで、今も誰かが自分を恨んでいるかもしれない。
本当の自分は、どんな子だったのだろう。
自分の記憶と真実は、違っているかもしれない。
こわい。こわいよー。
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母もブログで、子供のことを「こういう子」と単純化して書いたり、自分の昔のことを思い出して書いたりしているが、その認識がどこまで正しいかは分からんということですね。
ああ、やっぱり、こわっ。
比較的ささっと読めてしまう文体なので、
連休中、もしよかったら読んでみてください。
