テストが終わった長女からのメールはこれ。
「意外とよかった」
意外と?何が?一番苦戦した理科?いつも悪い国語?え?何?どういうこと?
私の頭の中に?が10個くらい並んだが、よかったのならまあいいかということにした。
この連休中、長女は非常によく勉強した。
せっかくのGWなのに、遊びに行きたいとは言い出さなかった。
自分で計画を立てて、それをやりきった。
なかなか覚えられなかった理社も頑張った。
素直にえらいと思う。
でも、もし今回のテストが悪かったら、頑張っただけではダメということになるのだろうか。
他者との比較が避けられないテストというものがあり、受験を一つの目標としているからには、努力が点数に結びつかないとダメということになるまいか。
私の中にも、結果にこだわりすぎるなという気持ちはある。
テストは理解度を確認するためのもの。間違い直しをしっかりやればよい。
努力したことが無になるわけではない。今の勉強はその先の勉強、その先の人生にもきっと役立つはずである。
子供の頑張りをまず褒めようじゃないか。
しかし、テストがやってくるとともに、この気持ちはいずこへかと消え失せてしまう。
もうこんなだったら、いっそテストや試験がなければいいのに。
それだと必死さがなくなるのかもしれないが、勉強自体はもっと楽しくできる気がする。
日能研のワクワクする学びを、心の底から楽しいと思える気がする。
長女の自分は頑張ったという気持ちを、もっと素直に認めてあげられる気がする。
多分今回も結果はさほど良くないと思う。
長女の頑張りを言葉では褒めたものの、頑張っただけではもうダメなんだよという気持ちを拭えなかった。