Carmen McRae – As Time Goes Byを楽しむ | mmのマッタリブログ ー AudioやJazzのこと

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連日の猛暑ですね。

お昼過ぎにクルマの給油をしに出掛けたほかは、部屋に篭っていました。今日は専らWOWOWから録り貯めしていた映画を観ていましたが、チャン・イーモウ監督の『SHADOW/影武者(2018年公開の中国映画)』は、なかなか面白かった。

 

夕食とお風呂を済ませてからは、ビールを飲みながらマッタリとレコードを聴いています。先週に続けて、日本製作のLive盤になります。

 

Carmen McRae Alone Live At The Dug / Victor ‎SMJ-6034 1974.


Vocals ,Piano – Carmen McRae

 

A1    As Time Goes By

A2    I Could Have Told You So

A3    More Than You Know

A4    I Can't Escape From You    

A5    Try A Little Tenderness

B1    The Last Time For Love

B2    Suppertime

B3    Do You Know Why?

B4    But Not For Me

B5    Please Be Kind

 

Manufactured By – Victor Musical Industries, Inc.

Recorded live at the Jazz club DUG, Tokyo November 21, 1973

Producer: Tetsuya Shimoda

Engineer: Tamaki Bekku

Photo & Desing: Tadayuki Naito

Special thanks to Hozmi Nakadaira, the owner of DUG.

 

Carmen McRaeのピアノ弾き語りは珍しいです。大人の落ち着いた雰囲気を醸し出してくれます。

録音は、ステージの空気感をリアルに捉えているようです。e-onkyoの和田博巳セレクト「ジャズとポップスを中心とした高音質作品でハイレゾの魅力を堪能する」期間限定プライスオフでも紹介されていますね。8月31日までなので、気になる方はご覧になって下さい。

 

 




レコードに添付されている対談にカーメンの弾き語りに至った逸話がありましたので引用しておきます。
 
このアルバムについて
対談: マーサ・三宅、 悠 雅彦
 
●ソロ・アルバムということ
 
ビクター:どうもお急がしいところを、 今日は先日「ダグ」で行なわれたカーーメン・マクレエのライブ録音について、 その時もその場に来てらっしゃいましたマーサ·三宅さんと悠 雅彦さんにもう一度テープをきいていただきながら色々とお話をうかがおうと思うんですがよろしくお願いします。
そのお話の前にこの弾き語りアルバムになるまでの経過と申しますか 、その間の事情を少し御説明させていただいた方が良いかと思います。
はじめの考えでは、 彼女がいつも連れているトム・ガーヴィンというピアニストが今回一緒に来日するときいていましたので、それならば息の合った演奏が期待できるだろうといった彼のピアノ伴奏だけのバラード集といったものを考えていたわけです。 
ところがいざ来日してステージをきいて見るとどうもピンと来ないんです。 うまい、 へたということより、 少なくとも僕達がカーメンの歌に持っているイメージにどうもピッタリくるものを感じないわけです。
 
悠:僕もね、 おあれだけカーメンがほめる割には、 どうも感心しなかった。
 
マーサ: いまだにね。
 
悠: ええ、いまだに (笑)
 
ビクター:それで僕も弱ってしまいまして、 日本のピアニストだとか、ちょうど同じ頃来日していたテディ・ ウイルソンとの共演などと考えてみたんですけれど、忙しいスケジュールのあい間をぬって、 充分なリハーサルの時間もとれないままじゃ、 いかにも急場しのぎといった感じで、 僕自身いやだったし、それに肝心のカーメンが、 他のピアノじゃどうしてもいやだと難色を示すといったこともありまして、 とっときのキリフダ、彼女自身の弾き語りという希望をぶっつけたわけです。
これは大変でした。 当然ちょっとやそっとではOKしてくれないだろうぐらいのことは予想していたのですが、全くハナもひっかけないというか、 横を向いて僕の顔もろくろく見てくれないといったことで、 傍にいた女性マネージャーまでが、口をそろえて、 そんな今迄アメリカでさえやったことのないことを彼女がOKすると思うか、万が一やるとしても、そのためには充分な練習期間も必要だし、それに第一急がしいあいまをぬってのライヴじゃなしに、スタジオでジックリやるべきだなどと攻めたてるわけです。
 そのカーメンとの交渉に入る前に、トムと話していたら、 彼は僕達が弾き語りを希望しているということを既に知っていて、お前のアイデアはとてもすばらしい。 僕も実をいうとカーメンのピアノの大ファンなんだ。 それで僕もことあるごとに彼女にすすめてみたんだが絶対にウンといわなかった。まああきらめた方が無難だよと悲告してくれたことなんかを思い出しながら、全く孤立無縁といった心細きで、もう腰をあげて帰りたいと何度も思いました。けれど僕の方ももうここまで来て引き下れないといった事情もありましたし。 僕自身カーメンフアンの端くれとしてなんとしてでもという気もありましたし。それでなおもしつこく彼女の前に座って動かない僕に、とうとう業を煮やしたカーメンが、「どうしてお前さんはそんなに私の弾き語りにこだわるのかね」 ときいてきましたので、僕はここそとばかり 「もっとも純粋で、そして完全なあなたの音楽がほしい。 ただそれだけだ。 これは日本の全カーメン・ファンの熱烈な要望である。」てなことを言ったわけです。それからです、 やっと彼女の向きを僕の方にかえてくれました。
「それにしたってお前さん、 私の弾き語りの持歌は3つばかりしきゃないよ。 それだけじゃどうするのかね。」 というから「たとえあなたが一曲しか歌えないとおっしゃるのなら、 私共は喜んでその一曲のためにレコーディングの用意をするでありましょう。」 と必死な気持で答えたんです。
 これが今思うとちょっと彼女の自尊心をくすぐったのかもしれません。 それからあとは、彼女もひざを乗りだして、 あの歌も思い出せば、この歌も出来そうだとやっているうちに、いつの間にか10曲のレパートリーが揃ってしまい、 それならと彼女も最後は大乗気になってくれたというわけです。 しかしそれにしてもよくこれだけのハード・ワークにとりかかる決心をしてくれたと思います。 やはり日本のファンの熱心さを感じとってくれたということと、事実僕があれだけねばれたのもそういうファンの願いが無言のささえになってくれたんだと思います。
 
悠:ジャズ·ファンならだれでも、カーメンが元ピアニストであったことを知っていると思いますが、30年近く一度もやらなかった全編弾き語りをやってくれたということはやはり大変なことだと思いますね。 これはある面では、日本のジャズファンが非常に良く音楽を聴き込んでいて、 その姿勢もまじめで真剣なことにカーメン自身が感じ入っていることもあるようですね。
 
マーサ:大阪の人にきいた話ですけれど、 オスカーという所にカーメンが出演したとき、 あるファンの人が、50何枚かの彼女のすべてのアルバムを持って彼女の楽屋を訪れたんですって。
すっかり感激した彼女はしばらくその方に抱きついて離さなかったばかりか、 二部の時にはずっとその人の方を向いて歌ってくれ、 最後もうこれで汽車に乗らなければいけないときまでそのレコード全部にたんねんにサインをして行ったというんですね。 そういった話をきいても何かわかるような気がします。 だからリラックスして歌ってはいるけれど、やはり意気込みが違っていたと思いますね。 こういうすばらしい企画をたててくれた、 日本のファンのためにもという気持がきっとあったと思いますよ。
 
ビクター:それと僕が最後まで気になったのは、女性マネージャーがいったように、非常に忙しいスケジュールをぬってのライヴだった為に、事実この日もその少し前に渋谷のコンサトが終ったばかりといったことで、 やはり疲れがでるんじやないかということと、レパートリー的にオール・バラードという企画だったことから全体に単調なアルバムづくりになるんじゃないかという心配があったんです。
 
悠:僕もね、 やっぱり中にチェンジ・オブ・ペースみたいなものがないと、 アルバムとしてどうかな、と考えたんだけれど、ひととおり聴いてみると非常にいいですね、 ムードが。
 
マーサ: そうですね。 それと、 逆に今回のそういったコンテデションに彼女はうまく合わせていると思うの。 またそれが出来る人ね、 カーメンは。
 弾き語りってすごくむずかしいのにうまくやってるでしょう。 声が疲れていると、 それをカバーするのは自分が弾いてカバーするのがいちばんなんです。 そういう点実にかしこい人だしね。 だから私は今のお話うかがう前は、カーメンが「自分で弾きましょう。」って言ったのかと思ったんです。声が疲れてロング・トーンののばせない時には、パッと自分でカバーしてそしてもう一度エンディングにもって来るとか、 そういう所が事実ありましたよね。 でも今度の場合、自然にそういう風ないきかたになったと感じられる方が多かったし。
 
悠:だから決して疲れてるとかそういうの見せなかったでしょ。
 
マーサ:感じさせないですね。
 
悠:むしろすべてが彼女のうまさ、 テクニックとして感じてしまう。
 
マーサ:ねえ、感じるわけでしょ。
 
●曲目のことなど
 
悠:ずっと聴いてみてどうですか。
 
マーサ:あのね、 あんまり自分が熱烈に恋をしているって曲が少ないんですよね。 歌い手というのは、 時のたつままにその年輪とともに歌う歌もふけていくといったこともあるんじゃないかしら。もちろん 「プリーズ・ビー・カインド」のように“初めての恋だからやさしくしてね” といった若い歌もあることはあるけど、ほとんどの歌が「アイ・クッド・ハブ・トールド・ユー.・ソー」みたいに、 第三者の立場から男の不実を忠告しているとか、「アズ・タイム・ゴーズバイ」にしても“時はどんなに移っても、 愛の真実は変わらない”と静かに考え込んでいる歌だしね。そして「ラスト タイム・フォー・ラヴ」、 私はこれがいちばん好きなんだけれど、 ほら、 最初出た10インチの頃、 あの時の感じにはまだ甘さがあったし若さもあったわけ、でもこれの “この恋が最初で最後の恋なんだ” っていう情感ね、 本当に胸をえぐられるような感じなのね。
 
悠:僕もこの歌い方には本当に感心しましたね。
 
マーサ: 「サパー・タイム」も、 ね、 あの悲しい、本当にホープレスっていう感じをエンディングなんか実によく出してますよね。
 
悠:それとこう一通り聴いてみると、 バースから歌っている曲が非常に多いでしょ。 ふだん彼女はあんまりやらないでしょ。これがやっぱり弾き語りと関連があるような気がするんですけれど。
 
マーサ:そうですね。
 
悠:やっぱり歌っていうのは、 まあ無視する人もいるけど、 バースがあるからよけい生きて来るんですよね。それを彼女がちゃんとやって見せてくれたっていうのは非常にうれしかったですよ、 僕は。
 
マーサ:そうね。 「バット・ノット・フォー・ミー」なんかもあんまりバースで歌わないしね、ふつうは。
それから私が感じたのは、 彼女の歌がより知的に、 知的になってきたことね。この人は若い時から、 おろかな女の感じでの歌のイメージではなかったけれど、それがより強調されているような感じがするの。たびたび恋をしているような歌がなくって私は良かったと思う。やっぱり恋の哀しさの歌がうまいですよ。 若い女が恋をしちゃうとメロメロに泣くけれど、もう泣いて、 泣いて涙も枯れ果てて、 静かにあきらめていくという哀しみ、枯れた哀しさがやっぱりこのくらいにならないと出ないですよ。
 
ビクター:僕もそれを一番感じます。
 
悠:そうですか。 僕なんかそういう経験がないからまだ分らないし、それほど年いっていませんから。 (笑)
まあそれにしても、このアルバムの解説だからほめるわけではないですけど、 歌手が夜一度ステージを踏んだ後に、こういうことをやって、しかも歌手も僕達も満足するようなものが出来るということは並大低のことではないと思いますね。そういった彼女の意気込みのすごさというものと、 彼女のテクニカルなうまさ、 そして内面にもってる豊かさが、実にその自然に出て来てて僕なんか感激しましたね。 だいたい歌い手っていうのはみんなそうありたいと思うこともあるんじゃないですか。
 
マーサ:ほんと。 私これでずいぶん学ぶべきことがあった。
だからこれはもう歌い手の為のレコードとしてもいいですよね。一つ一つ言葉がはっきりしていて、 まあ、 ジュリー・ロンドンみたいに、ポワーッとしたディクションでムードを出すっていうんじゃないですよね。 クリスタル・ディクションで悲しみも、喜びも訴えることができるってことね。
 
悠:ほんとうですよ。 ちょっとでも英語をかじった人なら、 誰でも歌詞がききとれるんですよね。 彼女はもともとディクションのいい人だけど、この「ラスト・タイム・フォー・ラヴ」などは彼女の持ち味が良く出てますね。それと他の人が全然歌わないような歌い方で歌っている「アイ・キャント・エスケイプ・フロム・ユー」なんかあそこにいた人がびっくりしてたものねえ。「バット・ノット・フォー・ミー」にしても、ふつうはもっと早いテンポで歌うんでしょ。 それをこういうテンポと出だしで歌うのはむずかしいでしょうね。
 
マーサ:歌詞の内容はすごくツイてなくて、しょんぼりしてる歌だからこういう風に歌うのが本当なんです。 だけど他の人は別の解釈をして歌っている。それをまた原点にもどして、この企画の全体のカラーにあわせてやったということは、やっぱり彼女は頭がいいんですね。 それにソロの2コーラスめのアタマのスキャットのいいこと。
彼女のひき語りというのは、 いろんなLPに少しずつ入ってますよね。 そういうのも全部きいてますけれど、今度のが一番いいですよね。
 
悠:みんな同じように歌っていながら、 一曲一曲ちがうのね。
例えば中にピアノ・ ソロをちょっと入れてみたり、スキャットを入れてみたりね。
 
マーサ: 「サパー・タイム」も前のと歌い方ちがうんですよね。でもそれが意識してじゃなく全く自然に出てくるのね。 何か前にきいたことがあるようなんだけれどもやっぱりちがうのね。それはやっぱりフレージングにむりがないということ、音楽的な資質ということですよね。
 
悠:歌のうたい方がテクニカルでうまいと僕ら言ってしまうんですけれど、 歌をどういう風に表現するかということをちゃんと考えているわけね。 それで考えた通りにやるんだけれど、それがわざとらしさが全然ないし、彼女の生活感覚みたいなものがにじみ出てくるように感じられるということは感心させられますね。 あたまいいんですね。
 
マーサ:すごくあたまいいと思います。 本当に。
 
悠:どれ、いちばん気に入りました。
 
マーサ:私はやっぱり「ラスト・タイム・フォー・ラヴ」、 あの説得力にはまいりました。 それから「アイ・クッド・ハブ・トールド・ユー・ソー」ですね。
 
●カーメンのピアノのことなど
 
悠:僕はこの人ピアノどれくらいひいてくれるかなと思ってたんですけれど実にいいですね。 うまい、へたじゃなくふんいきがね。 やっぱり彼女の歌そのものというか、 ぴったりなんですね。
 
マーサ:前のはね、 ペダルふみすぎの感じがあったのね。 今度はそうじゃなくて、 非常に音も良く考えてるし、 私はあの人はやっぱり音楽家だと思うの。たんなる歌うたいじゃなくて、よくわかっている人ですね。
 
悠:きいていると僕はカーメンが、自分で弾き語りできる曲がこのぐらいしかないというのが嘘みたいですね。 おそらくミュージック・シートを見ながらやれば、なんでも歌えるような気がしますね。
 
マーサ:そうですね、 この時は譜面見てなかったですよね。
 
悠: それとこのピアノ、 ちょっときくと一見オールド・スタイルだけれど、弾いてるコードなんかはわりと新しいものをやってる。それが実におもしろい効果をあげているんですね。
 
マーサ: だからそれはやっぱりあの人のスタイルであって、 自分の歌いやすい、なれてるひき方なんでしょうね。
 
悠:僕思うんだけど、もし歌い手なら、自分でピアノを弾いて他人の入ってこないような環境で歌うのが夢だと思うんですが。
 
マーサ:いちばんの夢ですよ。歌い手にとって。
 
悠:でも本当に良いピアノでしたね。
 
マーサ:今度来たときには伴奏してもらおうかしら。
 
悠:いいですね。 カーメン マクレエのピアノにマーサ・三宅のポーカル。
 
マーサ: そうなったら私死んじゃう。(笑)