和歌山城を望みつつ…  | The Sam's Room

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ランチはどこで?

 

 

和歌山城を望めるホテルの一角

そんなレストランでランチタイム

 

 

 

ダイワロイネットホテルに併設するレストラン

 

ココでランチにしましょうか

 

 

 

日替わりランチ

めっちゃリーズナブル

 

 

毎日メニューが変わる

アタリマエヤン

それが『日替わり』

 

 

そんなこんなで

 

 

水曜日は…

なぁにぃ?

 

 

 

 

まずはコンソメスープ

 

 

そしてランチ

 

 

 

この日はチキンステーキ

 

カリッと焼けたチキンにBBQコンロソース

ニンニクが効いてます

 

 

 

 

これが

野口五郎…

 

いや、違う!?

 

野口英世

 

これも古い?

 

細菌学者の北里柴三郎サンが描かれた

千円札1枚でランチが出来ちゃう

 

 

ここはね

一等席

 

 

だって…

 

 

目の前には

 

 

 

ほら…

 

 

写真が小さくてワカラン?

 

 

では、あっぷっぷ

 

 

 

徳川御三家 紀州藩の居城

 

和歌山城が目の前にどぉ~ん!

 

 

紀州藩

徳川御三家

その居城が和歌山城

 

 

 

 

暴れん坊将軍で超ユ~メ~な

8代将軍になった徳川吉宗

そして14代将軍の徳川家茂

 

などなど

紀州藩からは将軍がでております

 

 

御三家筆頭の尾張徳川家からでてないのに!?

 

とにかく

御三家から将軍を出しているんは紀州だけ

 

 

そんなんが和歌山県人のちょっとした自慢

ワタシには縁もゆかりも無いけれど

ははは…

 

 

それにしても

徳川時代

今もそうやけど!?

 

辺鄙な和歌山が御三家になぜなったの?

 

 

それは…

多分やけど…

 

江戸時代は海上輸送が主流で

江戸と大坂を結ぶ航路にある

和歌山の地が物流の要所だった

そんな和歌山が要衝として賑わい

重要視されていた…

 

…のでしょうね

そんな説が有力です

 

 

悪口が好きな人は…

邪魔な徳川頼宣を田舎の紀州へ送って

御三家にした

 

なぁんていうことが囁かれてきましたが

それはまったく根拠が無いウソだったようです

 

 

 

そんなこんなの

和歌山城

 

 

今の姿は鉄筋コンクリート

昭和33年の再建です

 

 

和歌山大空襲で焼け落ちたあと

市民の強烈な要望を受けて再建

総額の47%が市民の寄付だった

 

和歌山市民の思いが強かったんですね

 

 

 

当時の再建風景

 

 

再建された和歌山城は元の姿を忠実に再生

 

嘉永3年の天守再建の際の図面や戦前の平面図

そして古写真をもとに綿密に設計

いったん木造の設計をして

それを鉄筋造に置き換える

そんな作業も忠実に再現するため

 

…だったそうです

 

 

 

和歌山城は

アメリカ軍の空襲によって

焼失しました

 

 

それが

和歌山大空襲

 

昭和20年(1945年)7月9日夜から10日未明にかけ

アメリカ軍の爆撃機B29が108機襲 来し

焼夷弾を約17万発も落とし和歌山市は火の海に

 

17万発って

どぉよぉ~

凄い数…

 

その時和歌山のシンボルだった和歌山城も焼失

 

少し離れたワタシの家からもその炎は見えたと聞いてます

 

 

 

和歌山市が真っ赤な炎に包まれた…

 

 

死者   1,208人

重傷者 1,560人

軽傷者 3,000人

行方不明者 216人

被災者  113,548人

焼失家屋- 31,137戸

 

 

和歌山は一瞬にしてがれきの山、焼け野原

 

 

 

 

和歌山大空襲に至るまでは10数回の爆撃があったそうです

 

和歌山市内だけじゃ無く

少し離れた地域にも戦闘機が飛来

 

歩いている人々を機銃で撃ったそうな

 

昔、近所の古老に聞いた話しでは

戦闘機が低空飛行して機銃を撃ちまくり

人々は逃げ惑ったそうです

 

余りに低空飛行したので

戦闘機の米兵の顔もわかったそうな

笑いながら撃っていたと…

ウソハホンマカシランケド

 

ホンマに見えたのかどうかはよくわからないけれど

騎銃を撃ちまくったのは本当のようです

 

そして昭和20年7月

ついに和歌山大空襲

 

広島長崎に原爆を落とす1ヶ月前

和歌山は火の海、焼け野原、壊滅

 

 

なんだかね…

 

 

8月に終戦

9月25日には米軍が和歌山市の二里ガ浜に

上陸用舟艇で実戦さながらに上陸してきたそうです

 

 

 

 戦車やジープ…

続々と陸揚げされ、日本人は 呆然と見守る

 

そんな光景が繰り広げられたと言います

 

 

戦後80年

 

 

和歌山にもまだその爪痕は残っています

 

 

戦争

 

悲惨やな

 

 

核軍縮も進まず

逆に核抑止力で国家を守る

それが大国の主流

ヤバい国も核を持つ

 

核があれば攻撃を受けないから

あの北朝鮮も核保有だから攻撃されない

 

なんだかな…

 

 

核だけじゃ無く

今世界はとてもきな臭い

 

 

もうワタシは歳だから戦場には徴用されヘンけど

これから先、若者にはなにが待っているかわからない

 

 

なんだかな…

 

 

そんな思いで

和歌山城を眺めてました

 

 

 

和歌山城の焼失前の姿が残っています

 

 

この写真は大正10年

 

 

これも戦前 

昭和一桁くらいかな

 

木造の和歌山城

伏虎城とも言います

 

それは…

虎が伏せたようなカタチの虎伏山に

築城されたことからこの名前で親しまれてる

 

 

この木造と寸プン違わずに復活された和歌山城

 

 

そんなお城を眺めながらランチタイム

 

 

 

日本では平和にランチを楽しめてますが

世界のどこかでランチどころじゃない

そんな人々もいる

 

 

なんだかな…

 

 

ワタシのチカラではどうも出来ないけれど

祈るくらい?

 

 

そんな思いを抱いたランチタイムでした

 

 

 

 

 

…ちゅうことで

 

ほな

また

 

チョキ