ニホンでイチバンかどうか…
数え方や考え方にも寄りますが、
少なくても、ニホンで有数の
歴史を持つ高等学校。
これが我が母校でゴザイマス。
170年の歴史。
その起源はペリー来航の1年前。
嘉永5年に端を発するのでゴザイマス。
幕末の国際情勢に備える人材養成のため、
嘉永5年(1852年)に「自学自労」の教育方針で開いた稽古場
そこに我が校の歴史は始まるのでゴザイマス。
そこから数えて『170年』。
数々の人材を輩出し
地域の学府としてその存在を誇っております。
創始者は
かの小泉八雲が 「LIVING GOD」 (生ける神)と題し
世界に紹介した作品のモデルとなった人物。
幕末から明治維新にかけての
活躍した人々との交流や後ろ盾ともなった人で
勝海舟なども彼の応援支援があったため
あの活躍が出来た…、そんな逸話もゴザイマス。
ま、詳しいことはさておき…
そんな我らが母校も創立170年。
ワタシも卒業後も少なからず
ココでのご縁も頂いております。
そんなこんなで、
過日、
創立170年の記念事業がゴザイマシタ。
創立150年の時は
深くこの事業に関わり
中心となって関わらせて頂きましたが
前回の160周年、今回の170周年は
いわゆる実行委員的立場で参画させて頂きました。
それにしても
170年…。
悠久の歴史でゴザイマス。
地域の名門校として輝く歴史…
卒業生としては胸を張ってそう言える
我が母校ですが、
ま、最近は様々な要因である意味今後に
不安があると言えばある!?
人口減少で県内高等学校は再編を余儀なくされ
統廃合の波にものみ込まれる可能性もありますが、
地域の名門校としての揺るぎない立場を
卒業生の利己主義(?)として信じたい!?
ま、どうなるかどうかはわかりませんが。
そんなこんなの
創立170周年。
ワタシも実行委員の1人として参画し、
行事の舞台にも立たせて頂きましたが、
学校はコロナ対策やらなんやらと
全員が会場に入ることも出来ず、
2/3の生徒は教室で
リモート参加。
ちょっと寂しい…。
県知事、県教育長、国会議員、地元首長や教育関係者
などなどの列方々の列席でつつがなく記念式典は終了。
記念講演や公演などもありましたが
コロナ禍により短く簡単になるのは仕方ない?
ワタシがさせて頂いた150周年の時は
当時の人気バンドを呼んだり、
多くの展示会や学校整備なども行ったのですが
時代が時代、そして170年という、
特別な区切りでもないので…
上品にあっさり!?
でもこの準備には相当の時間を費やしましたが。
会合も何度も何度も重ね、
この日を迎えたのでゴザイマス。
実行委員長を始め
多くの方々のお力に感謝。
…でございます。
そんなこんなで、
本校の歴史を展示している
志學館(と言うお部屋)がございまして、
ココに昔の『高校新聞』がファイルされておかれております。
式典が始まる前に、
ココに立ち寄り、
昔の資料などを見ておりました。
実は、
何を隠そう、
ナンニモカクセヘンケド…
ワタシ、新聞部の部長でゴザイマシタ。
当時の高校新聞がありました。
懐かしいな…。
当時、ホンマ、エッラソウなコトを書いたンですなぁ~。
今読み返すとちょっと恥ずかしい!?
打倒三無主義とか
○○の背景を探る…
なぁんて、
エッラソウなコトを書いてる!?
こうゆうのを読み返すと
蘇る学園生活…。
あの頃は楽しくて楽しくて仕方なかった。
ホントによい時期だったなぁ~って思います。
で、ここで読み返していたとき、
昔懐かしい、高校一年の時に
数学を教えて頂いた先生がひょっこり現れました。
あらら…
懐かしいじゃありませんか!
先生、きっとイチ生徒だったワタシのことなんか
思えてヘンやろな…
そう思いつつもお声がけさせて頂きました。
○○先生、お久しぶりでぇ~す!
○○です、と。
おっっ!
○○君んじゃないか。
○○○だよね…、と下の名前まで仰った!
おやま、クリビツ、イタおどろ…
ビックリシャックリ。
名前まで覚えてくれてた…、ある意味カンゲキです。
当時の話をしたり、
懐かしい時間を暫しスゴさせて頂きました。
先生もかなりなご高齢でしたが
お元気そうで何より。
他にも
多くの元先生達にも再会し、
ホントに懐かしくも楽しい時間でした。
歴史…
それは、
人間が造ってきた生きた証。
…かも!?
懐かしむだけではなく、
そこから見えてくる未来に向かって…
歴史はあります。
…トオモイマス。
さてさて…、
ワタシなんてこれから『歴史』などを
作れるほどの器でもゴザイマセンが
この学校から歴史を作る人材を
1人でも多く排出できたら…
そんな学校であり続けて欲しい…。
そう思うのでゴザイマス。
…ちゅうことで、
ほな
また