ネオンきらきらぎんぎらぎん…
都会の夜は心がときめき、ステキだけれど…
都会の夜は心がときめき、ステキだけれど…
でも、
しかし、
but…
しかし、
but…
静寂さと闇としかない田舎の夜だってすごく素敵なのをワタシは知っています、ナンチテ。
…とある日、ちょっと二日酔い気味で起きたバンガローでの朝。
仕事がらみでとある山村にやって参りました。
温泉があったのですが、宴席までの時間がタイトだったためにもったいないけれど、ゆったり温泉気分を味わうことなし用意していただいた会場へ。
なかなかの設えに興に乗って飲み過ぎてしまったのかもしれない…
で、朝…
まだ鬱陶しいボンヤリした頭のマンマで窓を開けると、

夕べまで降っていた雨も上がり、朝靄の中で冷気がすっと部屋の中に入ってくるのです。
『さむっ!』と思わず身を縮めてブルッと身体が震えました。
『さむっ!』と思わず身を縮めてブルッと身体が震えました。
たっぱり下界とは2~3℃以上違うんだな…
ふと目を横に移すと、誰もとらないであろう渋柿がすっかり熟れて、緑の世界の中で存在を誇っているかのように実をつけておりました。ボンヤリこういう風景を見ている、夕べの記憶が鮮明に蘇ってきます。
そういえば…
夕べは、このだだっ広いだけのバンガローにたったひとりで寝たんだったっけ。

ベッドが6つもあって、4部屋あるウッディなバンガローにたったひとりきり。
でも、なぁんいも寂しいこともなかったな。
だって…
しこたま呑んで、タダ倒れるように寝ただけだったから。
しこたま呑んで、タダ倒れるように寝ただけだったから。
その原因は…
お酒をシコタマ飲んだせいだ…
こんな素敵なトコロでの宴会。


都会のきらびやかな繁華街も良いけれど、
銀座、六本木、すすきの、ミナミやキタも良いけれど、
銀座、六本木、すすきの、ミナミやキタも良いけれど、
でも、素朴なこういう古民家で呑むお酒はめっぽう美味しい…

囲炉裏、そして自在鉤(じざいかぎ)…
もう今では見なくなったな。
囲炉裏の火は暖かくて、その独特の香りがとても心の琴線に触れてくる。
木を燃すときのあの暖かい火の色と煙の香りが何とも言えずに懐かしさをそそる…
その香りと暖気に包まれると…、
人間もヒトツの自然の中のモノだという感覚が蘇ってくるような気もする。
人間もヒトツの自然の中のモノだという感覚が蘇ってくるような気もする。
こんな中で、お料理をいただいた…

鮎の塩焼き、虎杖、銀杏…
ここら辺りで採れたものばかり、地産地消。

素朴な自然の味が脳の奥底を刺激する。

ずがに…
別名、もずく蟹ともいうけれど、その味は『川の王様』と言っても過言ではあるまい。あの高名な『上海がに』と同属である。
おそらくは日本全国に生息するであろうけれど、これを召し上がったことがないヒトも多いかもしれないね。
ホントに美味。
ただコレをむくのにすごく根気がいることと、手に付いたかに独特の臭みがなかなか消えずに閉口するのが欠点かも!?

カモは小鍋にすると良いよね。
地元の野菜とカモから出る良いお出汁がたまらないな。
地元の野菜とカモから出る良いお出汁がたまらないな。

ご飯ものといえば『ワサビ寿司』。
酢飯の上に鯖の切り身を乗せた、いわゆる『はやすし』をワサビの葉で巻いたもの。葉をつけたまま丸ごといただきます。
これがここらの郷土料理だとか。
海から遠い山の中だから塩鯖を使って、しかも抗菌作用のあるワサビの葉でくるんだんだろうな…
先人の知恵が詰まった逸品。
そしてなんといってもコレがメインかもしれないね。

囲炉裏で焼く天然鮎…
串に刺して、炭火でじっくり焼いていく。
そして熱々を串に刺さったままいただく野趣あふれた豪快な料理。
良いねぇ…
熊になった気分だ…
熊になった気分だ…
テーブル席から、いろり端に席を移すと何だかまた違う世界が見えてくるな。
ワタシが小さい頃にはもう囲炉裏がなかったんだけれど、チョット離れた親戚の家などに行くとまだ囲炉裏に自在鉤がかかってるお宅も何軒かあったっけ。
そこの周りに何人かの大人が居て、酒を酌み交わしている風景が脳裏に焼き付いている…
囲炉裏端というのは人を和ましてくれる力があるんだろうな。
それは…
きっと『火』があるからじゃなかろうか。
木を燃やした火の持つ暖かさと光と香りが『安心感』を与えてくれているのかもしれない。
古代より、人は暖をとるため、料理に使うため、また色んな技術で物作りをするためにも火を使い、そして『身を守る』ためにも夜中にずっと火をもして野獣の攻撃から逃れてきた。
そんな『火』の歴史が身体の奥底にDNAとして受け継がれているのかもしれませんね。
ガスでもない、人工的な火と違い、薪が煙を出しながらちらちら燃えているのをじっと見つめていると不思議と気持ちまで暖かくなるのはそういうことかもしれない。
ワタシはいわゆる自然派と呼ばれるような存在でもないし、環境問題などにも深く関与しているものではなく、極々普通のありふれたオヤジですが、囲炉裏や暖炉の中で燃えている火を見つめていると、何故か『自然と人間』という図式が今の社会とは違って見えてくるから不思議です。
エネルギー問題は今現在のワタシたちの豊かな暮らしを支えてくれている大きな課題。化石燃料や原子力といったものを活用しないと今までの生活レベルを維持するのがムズカシイですよね、それは十分に理解しています。
昔に戻るなんて事はよっぽどでないと出来ません。
強い精神力と行動力がなければ今までの暮らしの快適さを捨て去らないでしょう。
ワタシは政治的な運動家ではないし、超自然派でもないし、左翼でも右翼でもない…
でも…、そんなド素人のワタシだってこれから先のことを心配するのです。
ワタシは政治的な運動家ではないし、超自然派でもないし、左翼でも右翼でもない…
でも…、そんなド素人のワタシだってこれから先のことを心配するのです。
口先だけで脱原発は誰にでも言えます。
じゃぁ、化石燃料にゆだねるのかといえば、それもきっとNOでしょう。お忘れになりましたか、京都議定書…、地球温暖化対策、CO2問題…
このまま地球温暖化が進めば海の中に消えていく国が極々近い未来に出てくることを。
再生可能エネルギーの開発は進んではいるモノの不安定な供給だと企業・商業的には成り立たないし、費用対効果の点でもまだまだ即座に切り替えられるものではありません。
現在人は、特にいわゆる開発途上国以外の人間は『もう美味しく甘い飴』の味を知りすぎたのです。そんな甘い飴を食べてしまっている我々に粗末な甘くない駄菓子では満足できないようになっていますよね。
でも、そんなに甘い飴ばかり食べていると健康上良くないのも知っています。
でも、そんなに甘い飴ばかり食べていると健康上良くないのも知っています。
だから…
どうすれば良いのでしょうか。
どうすれば良いのでしょうか。
国益のためには日本の企業には元気になってもらい、世界でその地位を確固たるものにし続けないと、日本の富はない。繁栄はない… ということは国民の暮らしに直結しているということなのでしょうね。
でも、それは原発を再開せよと言っているのでもありません。あれは大変危険な代物。でも、その悪魔的な存在を有し、使用している現実。
今から廃炉を決定すれば40年後には全ての原発はなくってしまうでしょう。
シェールガスの存在もあるけれど、一気に短期間でそういう方向にはなることは無理です。
今から廃炉を決定すれば40年後には全ての原発はなくってしまうでしょう。
シェールガスの存在もあるけれど、一気に短期間でそういう方向にはなることは無理です。
電力の安定供給と価格の問題、また大きな課題としてCO2による地球温暖化対策との相互関係、そして回収可能エネルギーのコスト効率、安定化の問題…
また、原発立地でまちづくりを進めてきた市町村や、原発関連で生計を立てている人、商売が出来ている人たちの今後の事も考えないと行けない大変幅の広い難しい問題です。
また、原発立地でまちづくりを進めてきた市町村や、原発関連で生計を立てている人、商売が出来ている人たちの今後の事も考えないと行けない大変幅の広い難しい問題です。
軟着陸…
そんな言葉があります。
そんな言葉があります。
ダメなことはわかっている、でも急降下、もしくは墜落してしまうと問題がまた大きくなる。なるべく問題を少なくして安全に着陸する方法を考えること…。
終局は見えているのだから、着陸地点は見えているのだから…、それに向かってなるべく被害が少なく着陸しなければなりません。
終局は見えているのだから、着陸地点は見えているのだから…、それに向かってなるべく被害が少なく着陸しなければなりません。
原発の廃炉は正しいことだと考えます。方向性として。
タダ、今現時点をどうして行くのか、今後を見据えて、今から手立てを打つ方法の議論をもっともっと重ねていくことが大事だと思うのですが。
タダ、今現時点をどうして行くのか、今後を見据えて、今から手立てを打つ方法の議論をもっともっと重ねていくことが大事だと思うのですが。
極論だけを言っても物事は始まりません。
だからどうする…コレが一番の問題です。
関係のない話になっちゃいました。
ははは…
すまんのぉ…