魂がふるえるとき… 芸術は心の吐露   碌山美術館を訪ねて | The Sam's Room

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美術館… 
とっても魅力的な言葉ですね。なにかしら、心の奥底のモノが歓喜する…とでも申しましょうか、チョット白々しい台詞かもしれませんが『心の琴線に触れるところ』とでも表現できますよね。

で、チョットした疑問があります。
美術館は英語で言うと『museum』ですよね。
博物館もまた『museum』。

あれっ…!?
同じです。

そうなんですねぇ、欧米では区別はないようです。
では、なにがどう違うのでしょうか?
多分ですが、日本で言う『美術館』は美術品を集めたところ。それ以外のモノを収集したり展示したりするのが博物館という区分けなのかもしれません。ただ、美術品でもすごく古いモノであれば、それは博物館に…というようになっているようです。
詳しい方がいれば教えてください!

ああ、前置きが長くなってしまいました。

今回のお話しは『美術館』のお話しにしましょう。

少し前になりますが、信州に行き、幾つかの美術館を訪ねて参りました。そんなお話しに少しだけお付き合いください。


碌山美術館を訪ねて… ROKUZAN ART MUSEUM


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荻原碌山…

若くしてこの世を去った『碌山(ろくざん)』は日本の近代彫刻の開祖だった、と称しても過言ではないとワタシは思います。

ワタシが碌山の作品と出会ったのは『教科書』でした。
当時、あまり美術などに興味がなかった中学生だったワタシ。でも、なぜかしら強烈に覚えているのは何故だったのでしょうか。
作品のインパクトの強さ、もしくは『碌山』という個性的な名前だったのかもしれません。
今、それはどちらが答えなのかわかりません。でも碌山と名前と作品に対して特別な感情を抱いたと言うことは疑いのない事実だったのでした。

今回、機会があって信州、安曇野を訪ねました。同行の方に碌山の話しをすると是非行きたいと言うことでしたので『碌山美術館』にやって来たのです。

これで確か5度目の訪問になるとおもいます、この美術館…

来る度に大きな感動があります。

30歳の若さで逝った天才彫刻家…
魂を描くことを本質とした…
道ならぬ恋に苦しんだ日々…

そこから生まれる作品群は『魂を削った』かのような印象を受けます。

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緑に包まれた『碌山美術館』。
不死鳥を屋根に抱いた建物はまるで教会のようです。

碌山…本名『荻原守衛』は15歳でキリスト教の影響を受け、22歳で洗礼を受けました。そんな彼の精神にふさわしい建物、そして明治風の煉瓦造りはその作品と融合するかのような雰囲気を醸し出しています。

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入り口すぐに置かれているのは『労働者』。没する年に制作されたものです。

さて、中に入っていきましょう…。

美術館の入り口には、
『LOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY』
という彼の言葉が刻まれています。

残念ながら作品群は撮影できませんのでココで掲載は出来ませんが、彼の感性、魂が震えるような作品に圧倒される、そんな場所です。

碌山について少しだけお話ししたいと思います。

農家の息子として生まれた碌山、病弱だった彼は読書や絵を描くことで日々を過ごしていました。
そんな碌山に転機が訪れたのは17歳のとき。年上の人妻『黒光』に声をかけらたところから彼の運命は大きく変わるのです。尊敬する先輩の新妻だった『黒光』は芸術に造詣が深い人でした。そんな黒光から大きな影響を受け、碌山は洋画家を志します。

22歳、彼は洗礼を受け本格的な絵の修行の為に渡米します。孤独と郷愁のなか絵の勉強を重ねるも、いまだ自分の目指すものが見つからないという焦りの中、25歳の時、新たな光を見いだしました。それはロダンの『考える人』に出会ったときのこと。
この作品を見て彼は『人間を描くとはただその姿を写し取ることではなく、魂そのものを描くことなのだ』と気づき、彫刻の道へと進んでいきます。ロダンに面会し、メキメキと実力を付けていく碌山…。

そして、東京でアトリエを構えたとき運命の人妻『黒光(こっこう)』に再開します。憧れの人である黒光の傍らで創作できる喜び、そして夫と共にパン屋を開業していた黒光一家との家族ぐるみのつきあいが続くようになります。そんな中で黒光への思慕が益々強くなりますが、所詮は許されぬ恋。それ故、悩む日々…。そんな時、黒光から夫が浮気をしていて苦しい胸の内を告げられます。愛する人の苦しみを知り、益々燃えさかる心と押さえなければならない葛藤に悩み続け、苦しむ碌山。

その苦悩をぶつけたと言われる作品、『文覚』を作成し第二回文展に入選を果たしました。
黒光もまた碌山の想いを知っていましたが、夫の不倫に苦しめられつつも子供を持つ身であり、また新たな命も宿していた黒光にはその愛を受け入れることも出来なかったのです。
碌山は愛の苦しみの中、作品を次から次へと世に出します。

『文覚』…武士から僧になった文覚。かれは人妻に恋し、その愛する人妻を誤って殺してしまった過去を持っていました。碌山の葛藤と重なるものがあった故の作品だと言われています。
『デスペア』…黒光の心を表現したと言われるこの作品は、女性が地に身体を伏せ、顔を埋めたもの。黒光の絶望感を表現したものでした。
『女』…うしろで手を結び、膝をつきながら天を見上げる女性。これもまた黒光…。
黒光はこの像を見たとき『胸が締め付けられて立っていることさえ出来なかった…』と。

これらの三作品は『恋の三部作』と呼ばれていますね。心でしか繋がれなかった黒光へ思慕の葛藤が生み出した傑作…なのです。

イメージ 5 作品『女』と碌山。(美術館の写真より) この『女』を作成した同年の明治43年4月、碌山は吐血し22日朝、30歳の若さで逝ってしまいました。同年の第四回文展で『女』は入選し、文部省に買い取られます。これが日本人彫刻として最初の重要文化財となりました。

碌山がなにをどのように思いつつ、『女』を作成したのかは本人のみぞ知るところですが、黒光がコレを見て『胸が締め付けられ立っていられなくなった…』という言葉からも、その作品に込められた想いが伝わってくるようです。


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安曇野の地…
この風景にとけ込むような『碌山美術館』は彼の生まれ故郷に美しく建っています。
木々に囲まれ、静寂な場所… 
碌山の作品はこの地によく似合います。