政治主導…とは? | The Sam's Room

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最近、妙に引っかかるモノがあります。

『政治主導』と言うコ・ト・バ…

皆さんはどう思われているのでしょうか。
政治主導とは『最も良い方法』で、そうじゃないと民主国家じゃないような感覚…ですか。

果たして本当にそうなんだろうか、実態はどうなんだろう? と言うお話し。

で、
『政治主導』の本当の意味とは…、
そして『脱・官僚』の意義とは…

ちょこっとだけ考えてみたいと思います。

『政治主導』の対極にあるのは『官僚主導』ですよね。
では、『官僚主導』では国家は悪い方に進んでしまうのでしょうか。
国民不在になってしまうのでしょうか。
簡単に考えてみましょうね。

まず…
基本的なところから…

『政治主導』の意味で取り違えてはならないことがあります。
それは…
『官僚の助けを全く借りずに政治家が行政を行うこと = 政治主導』 …ではないことです。

つまり…
繰り返しになりますが、政治主導とは『政治家が官僚に代わって、政治家が自ら行政を行うものではない』…
ここをハッキリしておかないとおかしなことになります。

そして政治は個人で行うモノではないということ。政治が一個人の『政治家』にゆだねられてしまうと大変なことになります。
官僚の代わりに『政治家』が行政を仕切ってしまうなら、政治家が自分の思うように制度を変えたり、もし国民の意思に沿わずに間違った方向走り出すととんでもない行政になってしまったり、その政治家個人、若しくは『与党』の我田引水で予算を組み替えてしまうという危険性をはらんでいますね。

だから…、『政治主導』は絶対に『政治家主導』になってはいけないのです。
ここのところが大事なんです。
政治≠政治家 なのです。『家』が入るのと入らないのでは大違いです。
『政治主導』とは『政治家主導』ではないと言うことをしっかりと把握しておかなければならないと思うのです。一政治家個人が鉈を振るうと言うことは危ないことです。

それと、もう一つ『政治主導』は『与党独占』であってもならないのです。
そうなると、もし独善的で豪腕な幹事長がその党にいれば機能を集中的に集めてしまい、言葉は悪いですが、好き勝手なことになってしまう危険性もはらんでいます。与党のマニフェストが一人歩きして、それが国民が望んでもいないのに勝手に実行してしまうと言うのも『民意』から逸脱してしまうのです。

あっ、まだもう一つ、こういう理解もありましたね。
政治主導=内閣主導です。民主党は『政府と与党の一体化』を現に掲げています。
しかし、日本は憲法の上からも権力の集中させるのではなく『権力の分立』を基本理念と
しております。政治が暴走しないように、権力を1ヶ所に集中させず異なる集団に与えることにより互いに抑制と均衡が働いて民主主義が実現するためには権力の独占は問題があります。

まぁ、クッソ難しいことはやめときましょう…。

はじめに戻って…
『政治主導』は『国民主導』と同じ意味であるべきなのですね。
つまり、国民に選挙で選ばれた政治家と政党が『日本を動かす』というのは『民意』の反映だと言うことでしょう。そうでないと『選挙』をした意味がありませんから。

ということは、『政治主導』は『民意』のあらわれであり、その為に『選挙』をすると言うことですね。

でも実際… 今の現状をみると少しおかしいのかもしれませんねぇ。

国民は選挙の際にはホントに『政治姿勢』とか『マニフェスト』が民意に添っていると考えて投票しているのでしょうか。

民主党が大勝した去年の衆議院選挙では果たして『政策』で投票した人はどれだけいるのでしょうか。政策は二の次で、自民党にお灸だとか、人気だとか、単に長期政権の与党を変えてみたいとか、はたまた、一部のマスコミが主導した論調に左右されてはしなかったでしょうか。
今、政権与党が出したマニフェストは『ばらまき行政』だと言う声が上がっているのに、O沢氏はあくまでも野党時代に作ったマニフェスト重視だという姿勢で総裁選に出ました。それは『民意に添っているのか』ということを考えなければなりません。

また、例えば、支持率が極端に落ちてきた 与党=内閣 が、従来通りの施策で行政を主導するのは『民意』にそっているのかと言うことも大きな問題です。

本当の意味で、政治主導=国民主導 であるならば良いのですが、上記のような場合で多くの国民が望んでもないことを『政治主導』という美名で強引且つ強力に行われれば『民意』の反映ではないと言うことになりませんか?

蛇足ですが、そういう点で言えば、今、民主党が野党時代に作ったマニフェストを見直すと言うことは大変に意味のあることです。

『政治主導』とは、一つ間違えば、必ずしも『錦の御旗』ではないことにお気づきでしょうか…。
誤解のないように書き加えれば、『政治主導』が間違われて使われていると言うことです。



では、次ぎに政治主導の対局にあるであろう『脱・官僚』についてです。

『官僚』に頼らない…ということが『政治主導』だと考えている方は多いと思います。
果たしてそれは当を得ているのでしょうか。

日本の『官僚』は概ね優秀です。
官僚の持つ能力、知識、情報、そして経験は有用だし、それを利用しなければ『国家は成り立たない』と言っても過言ではないでしょう。行政とは官僚が、公務員が実際に行うモノだからです。そう言うシステムが日本では定着していますよね。実際にほとんど多くの公務員達は『より良き社会』を目指して、日々奮闘しています。

話しは飛びますが、アメリカは『政治主導』だと言われていますが、アメリカの各省庁の長官は実は政治家ではなくて『官僚』なのです。
でも、アメリカは『官僚主義』だとは言われていませんよね。

で、話を戻して…

官僚は行政の専門家であり、その道に精通しているため、継続性、統一性、整合性でも秀でています。この経験豊富で専門的知識と情報を有している『官僚』を利用しないてはありませんね。

これを逆に言うならば、政治家が急に『○×大臣』に就任しても単独ですぐには仕事は出来ないのです。つまり、政治家は行政の専門家ではないと言うことです。
だから、行政の方法論、そして実態や問題点、詳細等は『官僚』が一番把握しているので、大臣や副大臣は彼らの情報を得て、『政治は民意の代表として方向性を示し、指示し、行政に民意を反映していく』という行為を行えばいいのです。

これが『政治主導』でしょうねぇ。
そのことをよく理解して、『政治主導』をするならば、
①に官僚に『まる投げ』をしないこと、つまり、正しい民意に基づいた方向性の指示が必要であると言うこと、
そして、
②に『言いなり(官僚の都合に合わせない)』にならないことが『脱官僚』の本来の意味ではないでしょうか。

ですから、大臣達は官僚に行政のことを『教えてもらう』『意見をもらう』『能力を利用する』『情報をもらう』ということは、『脱・官僚』とは矛盾はしないと思います。

国会答弁に官僚を呼ばない…ということは『脱・官僚』『官僚主義の打破』でも『政治主導』でもなんでもありません。
政治家に細かい行政上の情報や知識がないのは当たり前なのです。
国会や会談で行政上の細かいことを突っ込まれてしどろもどろになる政治家より、答弁は専門家たる官僚に行わせて、大臣は大局を見て、方向性を示し、官僚を使うことこそが、政治主導です。

決して間違わないでください。
政治家が官僚にどうでもイイような細かいことをあれこれと指導&指示したり、政治家が役所の仕事を横取りすることは『政治主導』ではないのです。

野党時代、某省庁に突っ込んで攻めに邁進して賞賛された(…かのような!?)某氏が大臣となっていましたが、大臣になったとたん守りに入り、官僚に重箱の隅を突くような細かいことをしか指示できなくて官僚の嫌われ者になった人がいます。その某省庁のアンケートによると『上司にしてはいけない人NO.1』だそうで、年金しかわからない(しかも一部)と開き直ったり、下の人間にきつく、国会答弁書の文書の内容ではなく句読点や『てにをは』を細かく訂正してくる…、ということは最終は官僚に全て任せて言いなりになっているのだとか。先ほどの職員アンケートによると、納得のいく指示が示されていると肯定的に答えた職員は、わずか1%だったそうです。指示が出せずに、官僚に頼り、つまらぬ文句だけは言う…これは彼がずっと言い続けてきた『政治主導』だったのでしょうか。まぁ、あまりに評判が悪いので昨日降板させられましたが…。(新聞報道と某省庁アンケート結果より)


とにかく『政治主導』とはホントはどういうモノかをもっとみんなが理解することが大事だと思います。ワタシ流の解釈は議論の分かれるトコロかもしれませんが、政治家が意のままに行うのは決して『政治主導』とは言いません。
民意を反映した政治的判断を行い、官僚と共に補い合いつつ、日本をより良くしていくのが本来の『政治主導』です。

今、日本はホントに危ない…です。政局ばかりで遊んでいるヒマはないのです。
早く立て直さないと…

もう後はありません…。