碧い海。青い空…、和歌山の海岸線をドライブし、本州最南端を通過して新宮市という三重県との県境を山の中に入ります。
今回は紀州を攻めるのシリーズ、第3弾。前回に続き、海岸線から山中に入るところからお話しは始まります。

新宮市は三重県とのちょうど県境。
熊野川という大きな川で両県が隔たれております。
熊野川という大きな川で両県が隔たれております。
この川沿いを新宮から北の方に走ります。
新宮市から国道168号線を約20分ほど行くと熊野川を渡る橋があります。ここを右折
…と言っても土地勘のない人には全くわからない話しなので、これから行く場所を地図で示します。
新宮市から国道168号線を約20分ほど行くと熊野川を渡る橋があります。ここを右折
…と言っても土地勘のない人には全くわからない話しなので、これから行く場所を地図で示します。

わかりにくいかなぁ~。右端の方の青丸の所です。
ここはどこかと言いますと、三重県紀和町と言うところ。
ここはどこかと言いますと、三重県紀和町と言うところ。
狭く細い山道を走って、何故ここに来たのか???
ここにはトロッコ電車があるのです。
それがこれ…
それがこれ…

まるでお猿の電車みたいに小さくて可愛いトロッコ電車ですね。


客車はホンマにちっちゃいのです。身を縮めて入らなければならないほど。
それに木製なので遊園地にある電車とほとんど変わらない感じがします。ホンマにお猿の電車みたい…。
それに木製なので遊園地にある電車とほとんど変わらない感じがします。ホンマにお猿の電車みたい…。


この電車は、バッテリーで動くんだって。
YUASAバッテリーを48個繋いで動力源としていて、充電するには一晩かかるそうです。
YUASAバッテリーを48個繋いで動力源としていて、充電するには一晩かかるそうです。
では、乗ってみましょうよぉ。
実は今回の紀州攻めにはバァさん二人組を連行、じゃなかったお連れしてきているのです。


家人の母親、義母ですなぁ。そしてワタシの母親 and おっかない…じゃなかった家内の女性ばかり3名が同行。
楽しいか楽しくないかはご想像にお任せします…。
ははは…
ふふふ…
親孝行でございますなぁ~、もちろん、楽しゅうございますよ!
楽しいか楽しくないかはご想像にお任せします…。
ははは…
ふふふ…
親孝行でございますなぁ~、もちろん、楽しゅうございますよ!
そう言えば、旅とか言うのは元気じゃないと出来ませんねぇ。義父はただ今入院中でございまして、そういう義父を見ていると『ヤッパリ、人間、元気でいるウチが花やナァ…』と思ってしまいます。
そうこうしているうちにトロッコ電車は出発の時間。
往復乗車券と温泉入浴料がセットになって600円也! これで2時間ほど楽しめるのだから安いかも!
往復乗車券と温泉入浴料がセットになって600円也! これで2時間ほど楽しめるのだから安いかも!

さぁ、出発。
物見高いワタシはヤッパリ一番前の車両やモン!
前がよく見えてエエナァ。
物見高いワタシはヤッパリ一番前の車両やモン!
前がよく見えてエエナァ。

出発してすぐにトンネルへ!

トンネルの中をトロッコ電車は走る!
ゴトゴトガタガタ…。
喧しいこと、揺れること…。
でも、それもトロッコ電車の醍醐味。
ゴトゴトガタガタ…。
喧しいこと、揺れること…。
でも、それもトロッコ電車の醍醐味。
区間は約1km、その殆どがトンネルなのです。
で、またココで悪いクセのウンチク…
なぜココに『トロッコ電車』があるのかという素朴な疑問が湧きませんか? そのお答えは…。
ココはかつて『紀州鉱山』と呼ばれていたどうの採掘跡なのです。その採掘した鉱石の運搬用にトロッコ電車があって、廃鉱した後それを利用してトロッコ電車だけを運行していると言うこと。
この地の鉱山の歴史は古く8世紀に奈良・東大寺の大仏建立用の銅を紀州から大量に出されたとも言われ、また坑道の壁には14世紀前半の採掘を示す『延元二年』の文字が残されているらしいのです。江戸期には30を越える銅山が開発され、近代に入っても銅採掘がは盛んに行われておりましたが、1978年には閉山されトロッコ電車も同時に廃止されました。
この地の鉱山の歴史は古く8世紀に奈良・東大寺の大仏建立用の銅を紀州から大量に出されたとも言われ、また坑道の壁には14世紀前半の採掘を示す『延元二年』の文字が残されているらしいのです。江戸期には30を越える銅山が開発され、近代に入っても銅採掘がは盛んに行われておりましたが、1978年には閉山されトロッコ電車も同時に廃止されました。
しかし、町おこしということで紀和町は1987年のイベントで坑内観光用でトロッコ電車を復活させ、意外な人気に気をよくした紀和町開発公社は、1989年より通年運行を始めたという事でした。
そんなトロッコ電車に揺られつつ、婆3人の(いやいや2+1?)ワイワイガヤガヤの騒音も併せて聴きながら(?)着いたのは…


『湯の口温泉駅』です。
たった10分のトロッコ電車の旅ですが、とっても楽しい!
絶対に乗ってみる価値大ありでございます。
クルマでココまで来ることも出来ますが、ヤッパリ雰囲気はこれやね!
たった10分のトロッコ電車の旅ですが、とっても楽しい!
絶対に乗ってみる価値大ありでございます。
クルマでココまで来ることも出来ますが、ヤッパリ雰囲気はこれやね!

駅から歩いて2分ほど、湯の口温泉がありました。
ちなみに前を行く親子連れは全く関係のない人でございます。
ちなみに前を行く親子連れは全く関係のない人でございます。
さて、お楽しみの尾温泉はと言うと…

ろて~ん!
湯気が漂う ロテ~ン風呂。
人が少なかったので写真撮っちゃった!
湯気が漂う ロテ~ン風呂。
人が少なかったので写真撮っちゃった!
湧出温度が45.7℃という食塩温泉です。ニオイはなく、素朴なお湯。正確に言うと、ナトリウム・カルシウム塩化物温泉で、効能は、神経痛、筋肉痛、慢性消化器病、きりきず、やけど、慢性皮膚病、慢性婦人病などらしい。
気持ちいいなぁ…。
露天風呂は特に温度を低くしているのでゆっくり入っていられます。
露天風呂は特に温度を低くしているのでゆっくり入っていられます。
ああ、気持ちいい…。
ゆっくりお湯に浸かり、ボ~とすること幾十分…。
だって次の電車の時間まで1時間もあるのだからゆっくり過ごす至福の時間。
で、やっとこさお風呂から上がって髪を乾かしていると…
『早くおいでぇぇぇぇぇ~!』と外から叫ぶ家人の声。
だって次の電車の時間まで1時間もあるのだからゆっくり過ごす至福の時間。
で、やっとこさお風呂から上がって髪を乾かしていると…
『早くおいでぇぇぇぇぇ~!』と外から叫ぶ家人の声。
どうやらユックリしすぎて電車出発まであと5分だそうな!
おやまぁ、ユックリしすぎました…。
おやまぁ、ユックリしすぎました…。

そして、またまたトロッコ電車に揺られて元来た駅に戻りました。
オモロイナァ、こんなショートトリップも。
オモロイナァ、こんなショートトリップも。

再びクルマに戻り、帰り道に…。
でも、今来たルートじゃ面白くないし、まだ時間もあるし、夜道に陽は暮れんので、思い切って五新線(新宮と奈良県五条を結ぶ道)を通ることにしました。モチロン思いつき!
でも、今来たルートじゃ面白くないし、まだ時間もあるし、夜道に陽は暮れんので、思い切って五新線(新宮と奈良県五条を結ぶ道)を通ることにしました。モチロン思いつき!


途中、本宮というところの道の駅に立ち寄り、ソフトクリームをゲット。
これがまた牛乳の香りが漂う優れものでした。
あまり甘くなく美味しかった!
これがまた牛乳の香りが漂う優れものでした。
あまり甘くなく美味しかった!

ん~、山の中です。でも道路は整備されていて走りやすい…と言うのは極一部で、2/3は細くて曲がりくねった山道でした。
そんな道を北上すると…
そんな道を北上すると…


十津川村。ここも温泉で有名なところ、そしてお蕎麦も美味しいところですなぁ。
ダム湖の色がまたスゴイです。エメラルドグリーンというのでしょうか、独特な色をしています。なぜか知りませんが…。
ダム湖の色がまたスゴイです。エメラルドグリーンというのでしょうか、独特な色をしています。なぜか知りませんが…。
で、次はワタシの一番嫌いなところでした…。

アホ違う…
あかんやろ…
渡れんやろ…
高いぞぉ!!!!
あかんやろ…
渡れんやろ…
高いぞぉ!!!!
日本一の長さを誇る『谷瀬の吊り橋』です。
高いところが大嫌いなワタシにとれば『罰ゲーム』にしかなりませんぞ!
ばばぁ3人組(!?)が渡っていく…
アホと煙…
ワタシはジッと見守るだけ。
高いところが大嫌いなワタシにとれば『罰ゲーム』にしかなりませんぞ!
ばばぁ3人組(!?)が渡っていく…
アホと煙…
ワタシはジッと見守るだけ。
この吊り橋は地元の人がお金を出し合い昭和29年に完成したそうです。当時の金額で約800万円、一戸当たり約20万円という当時としては破格の金額を出し合って架けた生活道路だとか。
この地域は度々水害で流され被害を被っていたそうです。当時は丸太橋しか無く、水害の旅に流され生活が出来なくなる、だから災害に強い生活道路をと言うことで地元の人たちが夢にまで見た橋を自分たちの力で架けたということでした。スゴイパワーです。
ちなみに、明治22年の大水害でこの地で被災した人が北海道に移り住んだのが今の北海道の『新十津川町』だそうです。
この地域は度々水害で流され被害を被っていたそうです。当時は丸太橋しか無く、水害の旅に流され生活が出来なくなる、だから災害に強い生活道路をと言うことで地元の人たちが夢にまで見た橋を自分たちの力で架けたということでした。スゴイパワーです。
ちなみに、明治22年の大水害でこの地で被災した人が北海道に移り住んだのが今の北海道の『新十津川町』だそうです。
ということで、十津川村から西吉野町を通り、名産の柿をゲット。柿が大好きなワタシは安くて大きくて美味しい柿を買えたことで大満足。
奥様方は…

これまた和歌山北部から奈良・五条近辺でよく作られる『柿の葉寿司』をゲット。
このお店は『柿の葉寿司』で有名な「田中」でした。
このお店は『柿の葉寿司』で有名な「田中」でした。
そんなこんなの紀州攻撃のショートトリップ。
これから後で、某所でお寿司を食べて帰り着いたのはモチロン夜遅くでした。
これから後で、某所でお寿司を食べて帰り着いたのはモチロン夜遅くでした。
バァ様方とのお出掛けもまた別の意味で楽しいのかも知れません。
そんな晩秋のひとときでした。
ご愛読ありがとうございます。
ご愛読ありがとうございます。
ではでは…
またまた…
またまた…