東京ウロチョロ街歩記 vol.4 これで終わりだよぉ~、長くひっぱたけど…!? | The Sam's Room

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東京下町散歩 ~ 文人達の街を訪ねる、なぁんて気取って歩き始めて2時間30分程度。
そんな短い街歩きに3回も回を重ねてしまいました。
もうこれで終わり…?
いえいえ、時間もまだたっぷりあるので、不忍池あたりまで歩いてみよう…と思い立ったのです。
まだ続くンかいなぁ~と困惑の諸君、もう一寸だけお付き合いくださいませ。だって、お散歩の最後まで書かないと中途半端で終われないもん…。

今回は、樋口一葉終焉の地から新坂を通り、東大を抜け、不忍池の側を通り、旧岩崎亭、湯島天神、神田明神を経由して戻るというアホほど歩きっぱなしというルートを頭に描いてしまったんです。

では、今回のルートは下の通りです。

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では、何でこんなに歩かなアカンのやぁ~と、自分自身で反省しつつ、一葉終焉の地の白山通りを2:40に再び歩き出します。

白山通り、西片を左折します。この道の下は、東京メトロ東西線が通ってるんだなぁ、などとボ~と考えつつ、『菊坂下』の交差点を過ぎ、ちょっぴり坂道になりかけたところをすぐに右に折れます。
ここが、『新坂』と呼ばれる通り。

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ここが『新坂』。
文京区には『新坂』と呼ばれる坂が6つあるそうです。ここの名前は新坂ですが、江戸時代からある坂だとか。古いやンか…。

ここら中りは昔は森川町と呼ばれ、二葉亭四迷や尾崎紅葉が住んだところでもあったようです。
あっ、そうだ…。
二葉亭四迷というのは、
『お前はアホか! くたばってしまえ、ふたばていしめぇ、ふたばていしめい、二葉亭四迷…』
というダジャレから付いた名前だと、ワタシが中学生の時の国語の先生に教えてもらったことを覚えています。ホンマかなぁ…。

坂を登っていきましょう。

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坂を登りきって平らになった頃、左手にある旅館が『太栄館』。ここが石川啄木ゆかりの地だとか。
北海道を放浪した啄木が創作活動にはいるために上京し、本郷に下宿し小説を書いて売り込みに廻ったがことごとく失敗、収入もなくなり苦しいときに創ったのが代表作であるこの歌。
「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる」

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その歌碑が『太栄館』の入り口にありました。海辺で創られたのかと思ったけれど違ったようです。生活にうちひしがれ、困り困って、この本郷の地で詠んだとはねぇ…。
原風景は青森の大間崎だという話しですけどね。

話は前後しましたが、本郷での下宿代も滞り、金田一京介先生が見るに見かねて救済の手を差しのべ世話してくれたのが、この地にあった蓋平館(がんへいかん)別荘だったそうです。三階の三畳の間に入った啄木は『富士山が見える』と言って喜んだそうです。…とエッラソウ~に書くとよく知ってそうですか、看板に書いてあったことの受け売りです。
ここに啄木は9ヶ月住んだそうです。

では、また出発!

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風情のある建物が時々残っております。
この道をもう少し歩くと…
またしても『東大』です。東大の中は前々回に詳しくお話しをしましたので、ここはサラッと…

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正門からまた東大の中に入ります。

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さすがですねぇ。
マンホールの蓋や側溝の蓋まで『東京帝国大学』&『東大』と銘が入っております。
さすが、リュウセキ、流れ石、流石です。

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またしても『安田講堂』の前を通り過ぎ、裏門へと向かいます。
池之端門を出ると、何かしら井戸が…

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名水だそうです。弁慶鏡ケ井戸。飲めるンやろか?
源義経とその従者が奥州へ向かう途中に弁慶が見つけ、一行の喉をうるおしたと伝えられているそうな。一時埋められていたのを、昭和15年に再び掘り直し、昭和20年の東京大空襲などでは多くの被災者を飢渇から救ったそうです。ここにも歴史有り…。

さて、ここをさらに進んでいくと、

♪ 母がまだ若い頃 僕の手を引いて ♪
♪ この坂を登る度いつもため息をついた~ ♪

そうです、『しのぶ、しのばずぅ~むえんざかぁ~』とさだまさしに歌われた『無縁坂』です。

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ここが無縁坂。
ワタシの場合は『さざまさし』がピンとくるんですが、文学青年&少女のみなさま方には、森鴎外の『雁』に出で来る坂道…と言った方がよろしいのでしょうか。

坂の名としてはとっても有名な坂ですね。やっぱりさだまさしのおかげかなぁ。
左手の塀は旧岩崎邸です。
そうそう、その小生『雁』でも『そのころから無縁坂の南側は岩崎邸であったが、まだ今のような巍々たる土塀で囲ってはなかった。』とありますね。

旧岩崎邸は、かの有名なゴッツイお金持ちの三菱財閥3代目社長、岩崎久弥が茅町本邸としてのお屋敷です。

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ド~ン、ドッカァ~ンって感じのお屋敷、って言うか西洋のお城のような建物です。
明治29年、イギリスのジョサイア・コンドル氏の設計で、建築当時には1万5000坪余りの敷地に20棟もの建物が並んでいたそうです。
さすが財閥、三菱様!
木造2階、地下1階。屋根は手割りのスレート葺き。広さは531㎡と言ったってよくわかんない…とにかくでかいお屋敷です。
洋館とつながっている和館は、書院造りで当時は建坪550坪、洋館をはるかにしのぐ大規模なものだったそうですが、今ではその大部分が取り壊されています。残念ですねぇ…。
観覧料 400円でした。ここは定期的に案内ツアーをやっております。以前に来たときにそのツアーに参加したので、今回はサラッと見ただけ。
それにしても三菱財閥のすごさに圧倒されますねぇ。

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ビリヤードルームがある撞球室。
本館と地下道でつながっているそうです。これまた凄い!
ビリヤード専用の建物やもん。

さて、岩崎邸に圧倒されて次にやってきたのが『湯島天神』様でございます。

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屋台も出て凄くにぎわっておりました。
ちなみに顔を隠しは縁起を担いで赤にしました…関係ないけど…。

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やっぱり天神さんですモン、この時期は頼っちゃいますよねぇ、合格祈願!
それにしても凄い人出でした。
梅もきれいで、観光客もいっぱい…。
では次…
湯島から妻恋坂を下って…、妻恋坂ですかぁ、なんてステキなネーミングなんでしょうねぇ。
で、やって来たのが『神田明神』。

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大通りから神田明神へ向かうにはキッツイ階段を上りました。
男坂だそうです。あ~しんど…。

で、やって来ました『神田明神』。

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ポンポンと手を合わせて、2礼2拍手1拝。

本日も元気で歩き回れることが出来ました。
ふ~、いつもの通り、たった数時間の話しを引っ張り引っ張りヒットパレード…。
最後は追い込みで、自分自身でも書くのに飽き飽きして、今回はぶっ飛ばしで話を進めました。
だからいつもアカンのやねぇ…、最後の最後で気合いが入っていないのです。オヤジギャグも面白い話しも入ってないし。

反省…。

では、また次回は、『浅草編』『広島編』『尾道編』『栂池高原スキー編』と続く予定…。
まだるンかぃぃぃぃって?
あるんです、まだ書いてないけど。

今度はオヤジギャグで行くぞうぉ~、見捨てないで次回もお付き合いを…。