6日目の朝、夜明けを迎えるダーウィン。いつものように朝焼けがキレイです。
今年はホテルが3階なので、隣のビルが邪魔をしてキレイな夜明けを部屋から見ることが出来ずに少々不満です。
今年はホテルが3階なので、隣のビルが邪魔をしてキレイな夜明けを部屋から見ることが出来ずに少々不満です。

この写真は3階の私の部屋から見た夜明け、

この写真は4階の部屋から見た夜明け…。
ねぇ、随分差があるでしょ。因みにこの写真は去年のもので、4階の部屋だったのです。アホと煙じゃないけど、高いところの方がよかったなぁ…。
ねぇ、随分差があるでしょ。因みにこの写真は去年のもので、4階の部屋だったのです。アホと煙じゃないけど、高いところの方がよかったなぁ…。
さて、6日目です。チョット疲れが見え始めてきましたよ。いつまでも若いと気持ちでは思っていても無理が利かない『華の中年』…。
チョット待って…、そう言えば以前は有名な辞書『広辞苑』では40歳くらいと書かれていたのですが、40ってかぃぃぃ。40歳はまだ若い。それ以上だったらなんやっチュウネン=ちゅうねん=中年…。40歳以上は老年かぃぃぃぃ…!?
と思ったけれど、実は最近少し中年の定義が変わってきて、中年とは40歳から50歳代までを指すようになってきたらしいのです。
では安心して私たちを『華の中年』と呼ぶことにしようチュウネン、それでエエちゅうねん、ナンヤネン…。
チョット待って…、そう言えば以前は有名な辞書『広辞苑』では40歳くらいと書かれていたのですが、40ってかぃぃぃ。40歳はまだ若い。それ以上だったらなんやっチュウネン=ちゅうねん=中年…。40歳以上は老年かぃぃぃぃ…!?
と思ったけれど、実は最近少し中年の定義が変わってきて、中年とは40歳から50歳代までを指すようになってきたらしいのです。
では安心して私たちを『華の中年』と呼ぶことにしようチュウネン、それでエエちゅうねん、ナンヤネン…。
話がそれました…元へ!
そろそろ疲れが見えましたが、何とか鞭打ってお仕事お仕事。午前中は何とか頑張りましたよ。で、お昼です…どこにしよう。
そろそろ疲れが見えましたが、何とか鞭打ってお仕事お仕事。午前中は何とか頑張りましたよ。で、お昼です…どこにしよう。
と、やって来たのがスミス・モール、ダーウィンで一番の商店街です。たった300mくらいの長さの通りですが、その真ん中ヘンを少し入ったところにある『ROAST & NOODLE 328』というお店。ここのロースト・ダックがまた美味いんです。中国人が経営しているようですね。

こんなお店です。昼時になると、この近くで働いている人で満席になります。私は少しお昼ご飯を遅くしたのですが、13時近くなっても多くの人が食事をしていました。

注文したのは『ロースト・ダック ヌードル・スープ』、平たく言えば「ラーメン」です。
ねぇ、見てくださいよぉ…。ラーメンの隣には、しっかりパソコン開いてるでしょ、なんて仕事熱心なワタクシでしょうか。ホントは注文の品を待っている間に開いただけだったりして…。
お味ですが、細麺であっさりしたスープがこれまた美味い!
ロースト・ダックもカリッと焼けていてこれまた絶品です。
お味ですが、細麺であっさりしたスープがこれまた美味い!
ロースト・ダックもカリッと焼けていてこれまた絶品です。
これで、9ドル? んっっ??? 9ドルってかぃ! 900円ヤンか。去年は8ドル50セントやったぞぉ~、と何故だかしつこく覚えてたワタクシ。
ちょっと探してみようっと…。
ちょっと探してみようっと…。

で、コレですよ、コレ!!!
証拠の写真がコレや! これって去年の写真です。ここには『Meal $ 8.50』って書いてるモン。
ダーウィンも好景気で全て値上がりが激しいんです。50セントで目くじらたてるんじゃないけど、『やっぱり物価は上がっているなぁ』ということです。決して、たった50セントでビビっているんじゃありません…。ケチで言ってるン違うでぇ!?
証拠の写真がコレや! これって去年の写真です。ここには『Meal $ 8.50』って書いてるモン。
ダーウィンも好景気で全て値上がりが激しいんです。50セントで目くじらたてるんじゃないけど、『やっぱり物価は上がっているなぁ』ということです。決して、たった50セントでビビっているんじゃありません…。ケチで言ってるン違うでぇ!?
お昼ご飯は美味しいヌードルを頂き、チョット元気が戻ってきました。
では、また午後のお仕事にGO,GO,GO,です。
では、また午後のお仕事にGO,GO,GO,です。
… 中略 …
なんやてぇ…、『中略』ってなに?、とおっしゃいましたかって?
そうです、お仕事の話しはここでは書かないので『中略』です。あしからず…。
そうです、お仕事の話しはここでは書かないので『中略』です。あしからず…。
では、今回はダーウィンシティの『エスプラネード通り』を紹介しましょう。
海岸通りとでも言うのでしょうか、ここにはホテルが建ち並び広大な公園があります。
海岸通りとでも言うのでしょうか、ここにはホテルが建ち並び広大な公園があります。

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ダーウィンシティ周辺の地図です。少し見にくいですが、白で矢印をしている左右に延びる赤く表示されている道が『エスプラネード』です。では、エスプラネードを散歩してみましょう。
赤色に塗っている道がエスプラネード通りです。
赤色に塗っている道がエスプラネード通りです。

ここが上の地図で言えば、一番下の部分で、右から左に向いて撮ったショットです。
右にある建物は『The Old Courthouse and Pollce Station 』。サンドストーンというここらへんの海岸にある柔らかい石で出来ています。
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【地図では下の方の「ピンク」の丸印の所】
これが『The Old Courthouse and Pollce Station』、古い裁判所と古い警察署です。1884年に建築されたものだとか。公開はしていませんが、中の様子をのぞくことが出来ます。でも何にもありませんが…。
右にある建物は『The Old Courthouse and Pollce Station 』。サンドストーンというここらへんの海岸にある柔らかい石で出来ています。
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【地図では下の方の「ピンク」の丸印の所】
これが『The Old Courthouse and Pollce Station』、古い裁判所と古い警察署です。1884年に建築されたものだとか。公開はしていませんが、中の様子をのぞくことが出来ます。でも何にもありませんが…。


ポート・オブ・ダーウィン(ダーウィン港)を眼下に見る場所。花が咲いてキレイにダーウィン港を見下ろせます。
ただ…。上の写真の休憩所のような所に展示している写真は日本人としては悲しいものです。
というのは、この地ダーウィンは日本軍が唯一大陸を空爆した土地なのです。1942年月19日の午前9時58分、242機の日本軍戦闘機【零戦】が奇襲し、先ずはこの港を爆撃し、軍艦を沈め、そして市内の至る所に爆弾を投下しました。243人が死亡し、300人世の人々が負傷したのです。この空爆は1943年11月まで合計64回続きました。
というのは、この地ダーウィンは日本軍が唯一大陸を空爆した土地なのです。1942年月19日の午前9時58分、242機の日本軍戦闘機【零戦】が奇襲し、先ずはこの港を爆撃し、軍艦を沈め、そして市内の至る所に爆弾を投下しました。243人が死亡し、300人世の人々が負傷したのです。この空爆は1943年11月まで合計64回続きました。


戦争の爪痕は60年余を過ぎてもまだまだ色濃く残っているのです。
では、次にいきましょう。次は【青い丸】の所です。

【地図では下の方の「青」の丸印の所】
ここが『Goverment Hosue』。このガバメントハウスはノーザンテリトリー州政府の建物でここでは一番古いヨーロッパタイプの様式をとっています。1890年代に建築され、州政府の公館として利用されています。英国エリザベス女王がお越しになった時もここに泊まられたとか。



地下には『ワイン地下セラー』が設けられておりました。でも、今は使っていないそうです。

海が望めてとてもキレイな風景が広がります。


普段、ここは自由に入れません。
お会いしたときのものです。
ワタシは花柄のシャツ、知事さんもブルーのシャツというお互いにラフな
服装でジュース片手に会談しました。フレンドリーな知事さんでした。

このパーラメントハウスについては後日詳しく報告します。



広い芝生の海岸通りを散歩するのはとっても気持ちの良い時間…ですが、今年はゆっくり散歩する余裕もなかったワタクシでした。。

では、また次の日記もよろしくね!