瑠璃色の地球 | キオクの記録

キオクの記録

息子ふたり☆日々の備忘録






こんばんはニコニコ


令和6年


初投稿になります。


拙いブログですが


見てくださり


ありがとうございます。


今年もよろしくお願いします。









令和6年

元日







子どもたちと

テレビをみていたら

石川県で震度5という

地震速報が…









慌てNHKに変えると

今度はすぐに

緊急地震速報の警報音が

鳴り響く。










珠洲市を映した

ライブカメラからは

土煙をあげて

倒壊していく家屋の映像が

映し出される。










ウソでしょ…


今日は元日だよ!


なんで…









そうこうしてると

こちら仙台も

ゆっくりと揺れ出した。






間違いなく


石川で起きている地震は

とんでもなく巨大な

エネルギーが働いている









これは

大変なことになる










続けて
 
大津波警報も発令された。


 





神はどこまで無情なんだろう

涙が止まらない








1年で最も

誰もが家族と

おだやかな時間を

過ごしているであろう日に。












わたしの脳裏にも

3.11の悪夢が蘇り

震えが止まらない






身体が覚えているとは

このことだ。








あの日

2日前の前震で産気づき

03/09に次男を出産して

入院中だった。







本当ならば

3.11に

手術で産む予定が

 組まれていた。










地震直後から

仙台市の中心部にある

その病院は

患者の家族や

行き場を失くした人たちで

あっという間に

あふれかえった。









混乱のなか

その夜は

患者以外の人も

寝泊まりする状況に。










わたしの

となりのベッドには

妊婦さんの旦那さんも

一緒に寝ていた。









しかし

病院の判断で

2日で

そのようなことは

禁止となり








避難所になりかけた病院は
 
看護師さんが

速やかに片付け

修繕が必要な箇所以外は

本来あるべき

病院の姿に戻った。












このことは

後に大きな地震が

起きた際にも

役に立った。









淡々と

片付けをし

日常に近づくことで

心が安定するのだ。











あの日

混乱の中

環境改善のために

冷静に現場を

指揮していた総師長さん。
  

 








毅然と対応し

弱った患者を守るべく

環境を整えて下さり

本当にありがたかった。










   

現在

孤立集落で

厳しい避難生活を

強いられている方々に

ライフラインの整った他地域に

二次避難を促している

と聞きます。








地震で

たくさん

大切なものを失い







さらには

大好きな故郷を離れること









身を裂かれるような

つらいお気持ちは

察するに余りあります。










しかし

水が出なかったり

寒かったり

プライバシーが

保たれないような場所で

何日も過ごすことは

思っている以上に

心身ともに

負荷がかかっています。














どうか

1日でも早く

水が出て

あたたかい場所で

休んでいただきたいです。








何より

環境の改善は

精神の安定につながります。










わたしに出来ることは

募金くらいしか

ありませんが

災害に遭われた方々に

平穏な日々がおとずれることを

願ってやみません。




 



震災当時

「瑠璃色の地球」という

曲に励まされました。

夜明けの来ない夜はないさ…

という歌詞のとおり

必ず朝は来ます。

皆様に幸せな日常が

訪れますように。