自分がつらいとき
いろいろなことが、うまくいかないとき
楽しそうな人の姿に
ケチをつけたくなったり…
前向きな言葉や優しさに
反発したり、攻撃的になる…
そんなことも、時にはあると思う。
あると思うが
その攻撃を受けた被害者は
黙って、受け入れるべきなのか。
今回は
どん底で苦しい人を救う視点ではなく
そんな人に理不尽に攻撃される
周囲の被害者を救う視点の話。
◇
僕自身、攻撃を受ける側になることが
多々あります。
ダイエットのサポートをしていると
長年、肥満や病気に苦しんできた人
精神疾患を抱えている人
人生にも自分にも、悲観的な人
劣等感や孤独感を抱えた人
割と多く接します。
少しうまくいかない事があると
自分を責め、世の中を責め
攻撃対象は、僕にうつります。
そういうものだと受け入れ
それを含めてサポートしているので
理不尽な攻撃に、反発したりイラついたりはしない。
全部吐き出すまで、じっくり聴いて
共感するようにしています。
が
それは、仕事だから出来ることであり
日常生活において
そこまで寛容になる必要は
ないように思う。
◇
ひねくれたり、斜に構えたり
攻撃的になるのは
自分を守りたいから。
傷つきたくない、指摘されたくない
現実を直視したくないから
問題を外に向けて、目を逸らすために
攻撃的になる。
本当は攻撃対象が嫌いなのではなく
自分のことが嫌い。
同時に、自分だけが、かわいい。
自分だけを、まやかしで守るために
親切な他人を犠牲にするのだから。
きわめて、自分勝手。
◇
その犠牲の対象になったとき
どうすべきか。
愛情を注ぐ相手ではないのなら…
切る…。
僕なら。
受け入れ態勢も、耐性もない相手に
言い返したり、議論したりしても
結局、分かり合えない。
その人に、なにかを分かってもらおうと
エネルギーを使っても
ストレスとして跳ね返るだけ。
そもそも…
理解してもらう必要あるほど
価値ある相手なのか…。
自分が苦しいからといって
他人を理不尽に攻撃していい理由にはならない。
弱った野犬は
優しく手を差し伸べても
攻撃的に噛み付いてくる。
怯えて吠えているだけだし
境遇に同情すべき余地もあるだろう。
愛すべき相手なら
噛まれても、抱きしめる価値はあるかもしれない。
ただ、そうでないのなら
噛まれて毒をもらうリスクを負ってまで
何とかしようとする価値は、あるだろうか…。
自分と大切な人を
守るだけでも
世界は過酷だろう。
嫌な相手に、無理してまで
力になる必要はない。
自分に嫌なことしてくる設定のAI。
そう思って、やり過ごす。
そんな割り切りも
必要だ。
M
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