【幸せになりたい】
というメッセージを
脳に送るな。



フランスに行きたい
=フランスに行けてない

焼き肉が食べたい
=焼き肉を食べれていない

幸せになりたい
=いまは幸せではない




脳は自動的に
=いまは幸せではない
=いまは不幸である

と判断する。

判断に合わせて
脳内物質や自律神経が反応し
身体や心に、快・不快を生む。

幸せになりたい
と発することも、考えることも
あまりプラスを生まない。







──では、どうするか。


幸せになった。
幸せだ。

と考える。
言葉を発する。




いまがどん底で
苦しくて仕方ないなら、なおさら。

何かがあるから
幸せになるのではない。

順序が逆。

幸せだから、何かが舞い込む。
まず、幸せが先。








幸せになるためには…
とか、余計な条件をつけるから
どんどん難しくなる。

遠ざかる。

何にもなくても
生きてるだけで
幸せは体感できるんです。

人間は、そういう風に
設計されている。

体感できないのは
比較で、幸せを決めているから。




何かを得るから、幸せになる
という思い込みを捨てること。


あのバッグを買ったら幸せ
結婚したら幸せ
旦那が出世したら幸せ
仕事で成功したら幸せ
素敵な家を買ったら幸せ
お金持ちになったら幸せ
美人になったら幸せ
子どもが一流企業入ったら幸せ


全部、無関係です。

全部、比較で幸せを測ってる。
事象と幸せは、一切関係ない。







幸せって
そんな複雑な場所にはない。

まず目の前の空気や太陽
心臓が発する幸せを
感じる。
気づく。
足るを知る。

そこを起点(100点)に
あとの出来事は全て
ラッキーな追加点。

生活も人間関係も
追加点が上下しようが
100点は揺るがない。



あえて厳しい言葉で言うなら

贅沢なんです


比較による幸せに
満足の終わりなんてない






【雑記】

苦しい真っ最中は
そんな簡単に切り替えられない。
わかります…。

でも一回だけ
発想を飛躍させてみるんです。

苦しい、辛いって
贅沢じゃね?と。

◯◯だから幸せ
◯◯じゃないから不幸

ここに比較が入ってないか。
(比較してるんです必ず)

素っ裸で
無人島に放り出されても
幸せは可能なんです、生き物は。

そこに余計な尺度が混ざって
そこに幸せまで混ぜ込んで
社会が出来上がってきた。

そこがまず
ちょっとズレてる。


何回も語ってますが

快楽漬けで
幸せ感度が狂ってるんです
現代人は。

まず食事を変えて
身体を動かし
自然と触れてください。
幸せ感度をリセットする。

見える世界は
180度変わります。