誰にでも合わせられて
相手が求める姿を演じているから
一見、悪い印象はない。

でも、求められたときに
求めてくる執着に
違和感を感じる。

なぜか。
こう思うから。


あなたは、誰?


自分がないと
相手へ求めるものが依存的。
執着になる。

そして求められたときに
こう思う。

じゃあ、あなたは
なにを提供してくれる?


なにもない。





自分がないから
相手に提供できるものがない。

求めてくるのも
実は本当に求めているのではない。
自分に空いた穴を
埋めようともがいているだけ。

だからその執着は
相手になにも刺さらない。


カオナシが提供したようにみえた金も、
ドロだった。




恋愛でも遭遇する。

欲しい。
私だけを見て欲しい。
必要としてほしい。

恋愛において
求められる嬉しさはある。
情けない弱さこそ愛しい。

でもそれは
自分を持った者同士が
GIVEしあえる関係の場合のみ
成り立つじゃれ合い。

でも自分がない人の場合は
依存的にすがりつくだけで
GIVEがない。
じゃれあえない。






誰かに心酔し
染まりきる。

これはある種の気持ち良さがある。
楽だから。

人間は本質的には
誰かに従い、決めてほしい欲を持つ。

でも心酔されるような
自分を持った人は
心酔という攻め方では
心を掴めない。

自分を持った人自身も
自分が心休める場
弱さをさらけ出せる場所を
求めているから。

そのときに

自分を持ってない人を
選べない。
頼れない。
心を預けられない。



カオナシでは
結局、なにも得られない。



M





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