ふと古い神話のことを思い出しました。イザナギ、イザナミのことです。
子供の頃に読んだ古事記の絵本では、黄泉の国から追ってくるイザナミの場面がとても怖かった。
だからという訳でもないけど、”死”の世界は怖いと思っていました。
色々なことを知る中で死はそんなに怖いものではない、と頭ではわかってきたけれど。。
いまひとつ腑に落ちていませんでした。
でも今日、死はそんなに悪いものか?と思いました。
春や夏において生命が精一杯力を出し切る。
そしてその疲れを癒す秋、冬が来る。
それは死ではありますが、次の生のための準備期間であって、生命たちにとっては必要なものです。
また、死が無かったとしたらどうでしょうか?
死なないで欲しいと思うようないい人も永遠に生きるのと並行して、ヒトラーとかも永遠に生き続ける。
そういったこと以外にも、地球上に人間が溢れかえって食物も争奪戦になるだろうし、地球が持たない。
死が、制限があるから一生懸命に生きるし、子供の世話や親の介護もできる。
そう思えて、ああ、死は恩恵であるなあと思いました。
そして子供の頃の絵本のような、死の恐ろしいイメージをイザナミ神に纏わりつかせるのは違うのではないかと思ったのです。
昔の言い伝えなので、どういう経緯でそうなったかはわかりません。
しかしそこに「女は怖い、汚い。そこを強調しよう」という作為がまったくなかったのか?(あったのではないか?)
という気がしました。
なぜ急にこういうテーマが浮かんだのかはわかりませんが・・
死についてのイメージも浄化し、刷新する段階が来ているのかもしれません。
生まれた時にお母さんに抱き留められない人がいないように
あちらの世界に行く時にも、お母さんのような、温かく優しいエネルギーが抱き留めてくれるのかもしれないな、と思えたのでした。
"It didn't start on 7th October 2023" pic.twitter.com/uHze4DaZjs
— PALESTINE ONLINE 🇵🇸 (@OnlinePalEng) October 7, 2024
昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
— 吉美駿一郎 (@shunicirou) October 6, 2024
昨日は17時から傷ついた鳩のパフォーマンスが行われました。ぼくは18時前に着いて、鳩たちが帰ってくるのを待ちながら、プラカードを並べていました。すると、最初からずいぶんと外国人観光客が足を止めてくれて、メッセージも書いてくれました。 pic.twitter.com/Cxm68E1ied
昨日は遺失物届を出した帰りにこのキャンドルナイトに出会い、参加することができた。幼い子供たちの写真を見ただけで泣けてきて、つらかった。隣の神戸駅で戦争当時4歳だった女性が、お母さんに背負われた妹を爆弾の破片で喪った、と偶然おととい聞いたばかり。遠い国、遠い時代の話じゃない。 https://t.co/r6cr4xeUZU
— UNI/るるるるん4 (@atsucurry) October 6, 2024