昔、カウンセリングを受けていたことがあります。

その時の先生は男性で、もしかしたらカウンセラーとしての経験は浅かったのかもしれません。

しかしその方から恩恵を二つ、いただきました。

一つは、家族と(物理的にも)距離を取っていい、ということ。

年末年始には帰省しなくては(皆そうしているし・・)と思っていたのですが、帰省したところで泣きながら帰ってくることが多かったのでした。

私の話を聞いて、先生は「無理に帰らなくていいんじゃないかな」と言ってくれたんです。

当時そういうふうに言ってくれる人はいなかったので、目から鱗!でした。

 

もう一つは、その先生が泣いてくれたことです。

当時私はまだ家族に対してドロドロした思いがたまっている状態で。

カウンセリングの場で、こんなこと、あんなことがあった、ということを必死に話していました。

 

それを聞いた先生が、静かに涙を流されたんです。

それを見て、え、男の人が泣いている・・

と、心底驚きました。

 

そういう態度はプロとしてはNGなのかもしれない。

だけどその時、先生を責める気持ちは一切なかった。

むしろ不思議と気持ちが浄化されたんです。

 

ああ、わかってくれる人がいるんだ

私がしんどい、と思っていたことは本当にしんどいことだったんだ(他の人から見てもおかしいことだったんだ)

 

 

と思えたからだと思うんです。

 

だから「仕事をするうえではプロだからパーフェクトに!」みたいな方もいますけどね。

まあ、仕事ならたしかにパーフェクトが求められるでしょう。

でも人と人なんだよ。

だから、パーフェクトではない、その人の弱さとか優しさとか

そういったものが救いになることもあるんだよね。

 

最近パレスチナ関係のことで色々ブルーになっているのですが、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への資金拠出を停止する国が出てきて。

日本も停止してしまった、というニュースを見て絶望感に襲われていました。

でも、このX(昔の動画ですが)を見て、ほんの少し慰められた。

西洋人の大人の男性が泣きじゃくっている・・

人としての優しさ、慈愛を持っている人がここにいる。

愛が無い人ばかりではないのだな・・

と思ったのでした。

パーフェクトではない、”人”としての涙に癒されました。