その女性は吉方旅行に壱岐まで来たとのこと。
 吉方旅行とは良いとされる方角、日にちに旅行に行くことで自分の運気を高めるものです。
 実は私の妻もその方面にはうるさ・・・詳しくて、新婚旅行にパリに行ったのも、また今回壱岐旅行に行ったのも妻の指示によるところが大きかったのですね。
 本来は北海道か沖縄に行くつもりだったら、その方向は今は悪いということで、ではどの方角なら良いかというと北西ということでした。
 福岡市から北西というと壱岐対馬しか無いのですね。
 ヨーロッパという手もありますが、今はヨーロッパは危ないし。
 とまあいうわけで壱岐旅行だったわけです。
 もちろん以前から行きたかったというのがありますが。
 それでその女性と妻は意気投合していたのでした。
 壱岐は麦焼酎の発祥の地とのこと。
 焼酎工場にやってきた。
 私は夜に車で帰らないといけないからほとんど飲まなかったが、妻とこの旅で知り合った女性はおいしいと言って飲んでいた。
 猿岩。
 見れば見るほど猿そっくりな巨岩。
 自然によくもまあこんな岩が出来たものだと思う。
 壱岐旅行二日目は、観光バスで島を一周した。
 あちこち行ったが、印象に残ったところを書くと、まず「イルカパーク」。
 ここはただ見るだけでも楽しかったが、550円追加でえさやりが出来た。
 間近で見るイルカはもの凄くかわいらしかった。
 えさをやってみた。
 ホテルにチェックインして夕食になった。
 夕食はうまかった。
 「磯あそび」という名前の通り、サザエ、岩牡蠣、車エビなどが大変おいしかった。
 追加で壱岐牛のステーキも食べた。
 これも絶品だった。
 夕食後、お風呂に入った。
 それからすぐ寝てしまった。
 一支国博物館から遊歩道を通って原の辻遺跡へと向かった。
 結構距離があり、しかも近道しようと田んぼの畦道を通ったりしたので大変だった。
 ようやく門とおぼしき2本の柱が立っている所に来たので、そこを通って行ったが、違ったのか牧場のような所になり、そこを突っ切ってようやく着いた。
 遺跡は18棟の建物が建っていた。
 しかし・・・。
 こういうことを言うのはどうかとも思うが、どうにも「見窄らしい」という印象を感じてしまった。
 後で「原の辻ガイダンス」という原の辻を解説した施設に行って、そこで見たビデオから、この遺跡の再建にどれほど手間が(そしておそらく金も)かかっているかは判るし、学者の意見に従って作ったことも判る。
 しかし・・・。
 これが「王都」だろうかとどうしても感じてしまう。
 これでは地方の村落では無かろうか。
 吉野ヶ里ならこれでいいと思う。
 あれは文字通り地方都市だったのだから。
 王都では無かったのだ。
 しかしここは王都だ。
 魏志倭人伝によると、倭国は絹、特に錦の産地だったという。
 それに発掘された贅沢な副葬品の数々。
 それも盗掘を免れた一部だけでも大変なものだった。
 そのような副葬品を埋葬出来た「王」が、こんな田舎の村長のような家に住むだろうか。
 「掘っ立て小屋」なのは良い。
 しかし外観は飾り立てていたのでは無かろうかと思う。
 以前から思うが、日本人は古代の日本人の生活をみすぼらしく設定しすぎでは無いかと思う。
 どうなのだろうか。
 一支国博物館は黒川紀章の遺作という立派な建物だった。
 この一支国博物館の見学が今回の壱岐旅行の本来の目的だったので、じっくりと時間をかけて堪能した。
 ボランティアによる解説が必要か聞かれたのでお願いした。
 そのボランティアのおばさんの話が大変面白かった。
 私も邪馬台国の位置などに関する持論を言ったりして大変盛り上がった。
 非常に有意義だった。
 その後、博物館の軽喫茶で軽食をとったのだが、そこで食べたマスクメロンアイスクリームがめちゃうまかった。
 壱岐へ向かうフェリーは、結構大きかった。
 壱岐まで2時間20分の短い船旅を楽しんだ。
 壱岐に着くと「しまとく通貨」を二人分6000円分もらい、それを即、明日の観光バスの料金に充てた。
 観光バスの料金は終日分で昼食付き5、640円だったので、二人分で11、280円。そこから6000円を引いて5,280円になった。
 儲けた。
 それからタクシーで一支国博物館に向かった。
 昨日、帰宅せずに直接親戚の家にロミィを迎えに行った。
 ロミィは予想以上に親戚の家族に迷惑をかけているようだった。
 ありがとう皆さん。
 今後預けるのは考えないといけないかな。
 帰ってきました。
 最高に楽しく、また有意義な旅行でした。