一支国博物館から遊歩道を通って原の辻遺跡へと向かった。
 結構距離があり、しかも近道しようと田んぼの畦道を通ったりしたので大変だった。
 ようやく門とおぼしき2本の柱が立っている所に来たので、そこを通って行ったが、違ったのか牧場のような所になり、そこを突っ切ってようやく着いた。
 遺跡は18棟の建物が建っていた。
 しかし・・・。
 こういうことを言うのはどうかとも思うが、どうにも「見窄らしい」という印象を感じてしまった。
 後で「原の辻ガイダンス」という原の辻を解説した施設に行って、そこで見たビデオから、この遺跡の再建にどれほど手間が(そしておそらく金も)かかっているかは判るし、学者の意見に従って作ったことも判る。
 しかし・・・。
 これが「王都」だろうかとどうしても感じてしまう。
 これでは地方の村落では無かろうか。
 吉野ヶ里ならこれでいいと思う。
 あれは文字通り地方都市だったのだから。
 王都では無かったのだ。
 しかしここは王都だ。
 魏志倭人伝によると、倭国は絹、特に錦の産地だったという。
 それに発掘された贅沢な副葬品の数々。
 それも盗掘を免れた一部だけでも大変なものだった。
 そのような副葬品を埋葬出来た「王」が、こんな田舎の村長のような家に住むだろうか。
 「掘っ立て小屋」なのは良い。
 しかし外観は飾り立てていたのでは無かろうかと思う。
 以前から思うが、日本人は古代の日本人の生活をみすぼらしく設定しすぎでは無いかと思う。
 どうなのだろうか。