複雑な想い | ミラネーゼのブログ: ~限りあるいのちのつれづれ日記~

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生まれてきたかわいい次男。そんな次男も2年2ヶ月で、空に帰っていきました。
病名発覚・厳しい宣告から立ち直っていくまでの過程と、何もわからないところからスタートした母の手さぐりの毎日、そしてその後のママの思いをつづっています。



ゆづが旅立って  ・・・・どのくらい、たったかな。



ゆづの人生は、「短い」 とも、「長い」 ともいえない気がする。



ゆづは ゆづの人生を、精一杯生ききったと、おもっている。



あれがゆづの、与えられた命の時間で、天寿をまっとうしたのだと思っている。




さいきんの私は、



一見、普段通りの、平常に見える生活をおくるだけで、精一杯。



ゆづがいなくなって、一言ではいえないような、じわじわした気持ちに



なった。



悲しいとも、ちがう。 つらい、だけとも違う。



さみしい、ともちがう。



惜別の想い、というのか。。 





叔母の納骨式も、おととい、無事にいってきた。



叔母は、ゆづの亡くなる1ヶ月前に、亡くなった。



こども病院からわりあい近いところで、療養していた叔母。



緑の多いその丘陵地域。



叔母が亡くなって、入れ替わるように、ゆづがその地域へとうつった。



半身まひになり、オイルマッサージをしてあげたら、声の出ない



声で、喜んでくれた、あの叔母さん。



その叔母さんも、いまはもう、いない。





健康でも、病気でも、命あるものとして生まれたら、



いずれ死を迎えるというのは、みんなおなじ。。



昔のわたしは、長生きできることがいいことだと思ってた。



でも、いまはちがう。



大切なのは、どう生きるか、なんだ。





ゆづがいなくなって、パパが、ポツッとつぶやいていた。



あるTV番組をみていたときのこと。



「こんなに、想われて亡くなって、この子(番組の主人公)は幸せだな。

                   


長生きしたって人から感謝もされないやつだって、いるのにな。」




なんとなく、パパの言った言葉が、わすれられない。



わたしも、ゆづに恥じないように、生きられたら、いいなとおもう。






もうじき、ゆづは百か日を迎える。



百一日参りができる、古い古いお寺があって、予約をとっている。



動くときはいつも、雨男だったゆづ。


  (・・葬儀の朝ですら、雨だった!)  



   ・・きみに会う日は、フシギなくらい 雨が 多くてね・・・



・・・お参りの日は、晴れるかなぁ?



雨だったら、ほんとうに笑えるね。。ゆづらしくて。。