ここは最も行きたかった場所のひとつ。

タシケントのナヴォイオペラ劇場





中央アジアのウズベキスタンでは、1966年の大地震で首都タシュケントのほとんどの建物が崩壊。

そんな中、見事に耐え抜いたのがナヴォイ劇場。






被災者の避難場所として活用されたこの建物を仕上げたのは、じつは日本人です。

近くで見ても、隙間なくきっちりと積まれた石を見ると、仕事の精度の高さが一目瞭然。







ウズベキスタンはその当時旧ソ連の領土だったため、ロシアに抑留された日本兵捕虜のうち約500人がここに連れてこられ、ナヴォイ劇場の建設に強制労働させられました。

ろくに食べ物を与えられない劣悪な環境下での労働は苛酷なもので、500人のうち79人が亡くなっています。

しかし、彼らは強制労働であっても一切の手抜きをせず、真剣に責任感を持って建設作業に取り組みました。

その真面目な働きぶりに現地の人たちは次第に好意を抱きます。

ある日、日本兵捕虜に同情した現地の子供たちが、収容所の敷地にこっそり食べ物を差し入れました。

すると数日後、同じ場所に手作りの木のおもちゃが置かれています。

それは日本兵からのお返しでした。

捕虜の身でありながら、受けた恩に精一杯の礼儀を尽くす日本人の行いに、ウズベキスタンの人たちは尊敬の念を抱くようになります。

その後、独立国家となったウズベキスタンは現在、中央アジアで一番の親日国。あの強制労働で亡くなった79人の日本人の墓地を、いまも国を挙げて大切に守っています。

劇場側面の記念プレートには以前ウズベク語とロシア語、英語で「日本人捕虜が建てたものである」と書かれていました。

しかしこれを見た、独立後に大統領に就任したカリモフ大統領は「ウズベクは日本と戦争をしたことがないし、ウズベクが日本人を捕虜にしたこともない」と指摘し、「捕虜」と使うのはふさわしくないと1996年に新たなプレートに作り変えました。



「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォーイ名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。」とウズベク語、日本語、英語、ロシア語の順に刻まれています。

今回はスケジュールの都合でオペラやバレエの鑑賞日に合わなかった為、中には入れず🥲

でも絶対にまた来たい国なので、次回はリベンジしようと思いますおねがい

ウズベク人の方々は誠実で他人に対する思いやりや配慮があり、日本人が学ばせてもらえる点が沢山ありました。

本当に魅力いっぱいの素敵な国です🇺🇿

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