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 混合診療の話を2週にわたってしてきました。じゃ、いったいどうしたらいいのでしょうか?

 ガンになったら混合診療のほうが、助かる可能性が高いと、効果があるからお金を払ってでもしたいということなのでしょうから、出来るものなら、そっちを受けたい。

 ググってみると
混合診療が始まれば,癌になったら家を売る事になる!
なんて凄まじいページまでありますが、これはちょっと行きすぎというか、可能性はあるかもしれないが、煽りがきついと感じます。

 この秋から抗がん剤からはじめる。と言うことですが、所謂混合診療、健保と自由診療を混ぜると言うことですが、自由に勝手に選べるのではなくて、先進医療の認定を受けたもののみだそうです。

 厚労省保険局の井上肇企画官は、「現行の先進医療の枠組みの中で、評価の迅速化と効率化を目指すことを想定している」とのことですから、

☆先進医療ってのは平成16年12月患者負担の増大を防止するといった観点も踏まえつつ、国民の選択肢を拡げ、利便性を向上するという観点から、保険診療との併用を認めることとしたものです。平成25年6月1日現在で65種類(第3項先進医療(先進医療B)技術として規定されている42種類を除く)

☆迅速化と効率化ってのはスピードをアップすると言うことでしょう。数を多くすることも含まれるかもしれない。

自由勝手に患者が選ぶのではなく、先進医療と国が認定するわけなので、薬害リスクはいくらか後者のほうが信頼できる。しかし、今までよりも迅速化と効率化するということは、安全性はどうなるでしょうね。ちゃんとやってもらいたい。

まあひとまずチェックは働いているという事でしょう。

その先進医療の技術料はというと、重粒子線治療の約302万円、陽子線治療の約276万円、腫瘍脊椎骨全摘術の約202万円などなどもっと高いのもあります。

 1万円というものあれば数十万円、数百万円とあるわけです。

 先進医療になっていないもので数千万円と言うのも聞きます。完全自由診療ってことでしょうが、こんなのもあるんですね。



 学芸員女史に続いて実際の空襲体験を語ってくれた女性は、当時16歳の学生だった。
女性の家は市の中心部にあり、一緒につれて逃げようと6歳の妹に玄関で待つよういった直後に、焼夷弾がその玄関で炸裂し、「ぎゃー」と言う妹の悲鳴を聞く。
 無我夢中でにげだした女性が、火を逃れ避難した旭川の橋の下。母に手を引かれた妹と再会するが、全身に火傷を負い、目も潰れた頭皮もはがれていた。「あつい。あつい。おみず。」と訴える少女に家族は何もしてやることが出来ず、明け方妹さんは亡くなった。と話してくれました。

 いま80歳を超えた女性は、2008年にミュージアムが「空襲について語ってほしい」と依頼され、その体験を話し始めるようになったが、それまで60年以上、人にあらためて話をする機会がなかったという。
 「父親が生きているうちは、家族の誰一人として空襲のこと、妹のことを話すものはいなかった。話してはいけないことのようだった。」と。

 こんなこともあったという。
「空襲の時にはデパートの地下へ逃げましょう。」と避難計画をたてていた町内は、その地下が火の海となり地下に逃げた24人が犠牲となった。

 火の海となった市街地から、橋を渡って逃げようとする市民。その橋に仁王立ちに立ち塞がり、軍刀を振りかざして、「御国のため、戻って消火活動にあたれ。」と市民を街へと追い返した憲兵。

 程なく日本は降伏し戦争は終わる。
 家族を失った者。家や全財産をなくした者、地下へ避難し大勢の命を無くした町内の人々、市民に逃げることを禁じた憲兵、そして復員してくる兵隊さんと戦争を指揮していた将校。
 多大な犠牲を出した戦争が終わり、それまで様々な立場に居た人が、一つの街の中で一緒に暮らしていく。他に生きる道は無い。

 戦後20年以上経って生まれた私の目からは、戦争を体験しご苦労された人。とだけしか写らないが、それぞれの立場で傷つき、大切な者を失い、それでも生きていかなくてはならない。
 戦争のことを口にすれば、誰かを責めたり、傷つけることになるかもしれない。そんな人たちは、沈黙を守って前だけを向いて生きてきたのではないかと思いました。

 そして、戦後生まれの私たちは、戦中を生きた人の苦しみを知らず。先人たちの反省を将来に生かすことも十分とはいえないかもしれません。

 間もなく選挙があり、その結果国のすすむ道が変わる可能性もあります。


 これまで話してきた、医療制度の話もそうですが、昔の人がどういう思いから今の制度を作ったのか?私たちは十分に理解していないのかもしれません。





 1945年6月29日は岡山空襲から68年目の日です。

30日(日)に岡山県立図書館で、「岡山空襲2013」というセミナーが開催されたので参加してきました。

 セミナーは岡山シティミュージアムの学芸員の方の講師として始まりました。この方40代とお見受けする女性の方です。

 岡山シティミュージアムと岡山市が、空襲資料の常設展示のための資料集めを行うようになって7年だそうですが、とにかく資料集めに苦労しているとのことでした。

 当時空襲を体験した市民に体験談を聞こうと思ってもなかなかはかどらず、集まった体験談は7年間で80人という数。そのうち空襲で家族を亡くしたという人は僅かに5人。
1700名以上の死者が出た空襲でこの数しか体験談が集まらない。時代の流れもあるのかもしれません。

 ともかく2008年から、空襲資料の展示は始まったそうなのだが、「悲惨な過去をなぜ穿り返すんだ。」「思い出すのも辛い。展示をやめてほしい。」との声が多く寄せられ、職員は困惑したそうです。