優ちゃん・・・永遠に・・私たち家族の心で・・・ | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

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2000年1月10日
1月9日、午後5時頃に生まれた娘は翌10日の午前6時頃に天使になりました。
この世に生存していた時間はわずか12時間…
体重670g、身長29.4cm
ちちゃな ちちゃな色白のかわいい女の子でした
泣き声も目が開くのも見れないまま・・いってしまいました。
どんな声をしてたの?目を開くとどんなお顔だったの?
冷たく動かなくなった娘を抱きしめながら声をかけていました。

ベビー服など用意しているはずもなく
病院が用意された白い産着を着せられて私たちのもとへ帰ってきました。
病室では、小学2年の娘が一人看護婦さんといて
私たち夫婦が次女を抱いて部屋に戻ると寝ていると勘違いし、ひたすら笑顔で
可愛い!抱かせて!という娘に事情を話すと娘はただ、じっと妹を見つめて
「寝てるんだよね…」と、涙をいっぱいにためた顔がとても印象的でした。

悲しみにくれる暇もなく、病院で名前を決めますか?という問いに
せっかく生まれてきてくれた娘に名前を付けないのは可愛そうで
ただ、前夜から胸騒ぎがした私がふと頭によぎった <優希>ゆうき と言う名が浮かび
生き延びれば、私たち家族に優しい子であり希望が持ちたいという理由から優希としよう…
もし駄目なら優しい香りのように散っていった<優香>ゆうか としようと…
結果は、優香となりました。



出産をした次の日に供養の為に実家へ戻ることに…
家族4人で乗る車・・これが最初で最後になろうとは…
まっすぐに帰らず、いろんな場所へ立ち寄りました。
飲食街、学校、海、花畑…
一緒に暮らすはずだった我が家…
ここが、海綺麗でしょう…お花もいい香りだね…美味しいものたくさんあるよ
って小学2年の娘が優ちゃんを抱いて歩き回っていました。
本当なら、もっといろんな所へ遊びに行ったり喧嘩したり、笑ったりできたのに
妹をずっと欲しがっていた娘はたった1日の間に一生分の話を妹としているようでした。


娘は、妹に音の出るおもちゃを買い、
私たち夫婦は、真っ白いベビードレスと帽子、手袋、靴下を
持たせました。



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優ちゃんがいなくなってしばらく娘は優ちゃんの姿が見えていたそうです。
その姿を自分で絵に書いてくれました。
それは、今でも一緒に飾ってあります。
不思議なことに学校のお友達も優ちゃんの姿が見えたそうで
一緒に勉強したり、遊んだりしたと報告していました。
ある番組で子供は心が純粋なので天使になった姿が見えるという言葉がありましたが
本当のようです。私たち大人は見えませんでした。

娘も小学5・6年生になる頃からだんだんと姿が見えなくなってしまったようです。
でも、私たち家族の心の中、いえ多分すぐ側にいつもいるような気がしてなりません。
手を合わせる度、笑顔の顔が浮かんでくるのは側にいるからでしょう


こういった経験をされた方々はわかっていただけるのではないかと思います。

優ちゃんは、ずっと私たちと一緒に生きています。
これからもずっと・・・・・・・・













優ちゃん、生まれてきてくれてありがとう…








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