生きていれば10歳の次女の誕生日・・・ | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

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2000年1月9日、
次女の優ちゃんの生まれた日…

あれは、突然のことでした
1月6日までパートで仕事をしていた私は、妊娠6ヶ月に入り、
年齢が3○歳ということで仕事をやめることにしたんです。

もともと結婚が20代後半でしたので今の長女も20代後半で出産。
その際も、自然分娩のはずが、予定日になっても気配がないため
陣痛微弱ということで急遽帝王切開になり
麻酔がうまくかからなかったのか、ショックが大きかったのか
痛みを抱えながら出産したため、生まれたばかりのわが子を痛みで見ることも
抱くこともできませんでした…

もともと中学生の時に腰を痛め、背骨の数の関係から出産は無理かもしれないと
言われ結婚、出産もあきらめていた私だったので、
実母におろすように言われても意地でも産みたいと思った私にとっては、
一人子供を授かっただけでも嬉しくてそれに麻酔の効きが悪く痛みが激しかったので
子供は一人でもいいと思っていたんです。
それが…

また、こうのとりさんが私のお腹に二人目の天使を授かり
それでもまた、実母におろすように言われ、私も30代前半ということで
悩み悩んだ結果、産む事に決めてすぐのことでした。
実母との言い争いや子育てのストレスか妊娠2ヶ月で出血があり
5ヶ月になった頃から逆子のままお腹にいることが多かったんです。

6ヶ月後半、仕事を終え、次の日検診に行くと
内診の際、胎児の足が子宮口から見えそうになっていると先生が慌てられ
そのまま、山口の病院へ救急車で搬送された
何が起きたのか全く理解ができない内にエコー検査や内診、いろんな検査…
切迫流産の危険があるということで、緊急入院
そのまま、トイレも食事もベッドの上でとにかく安静で動かない事と言われ
流産をとめる点滴が何本も1日中打たれた
副作用のせいか、顔が燃えるように暑くなり意識がもうろうとしたことだけは覚えているけど…
それから、ドクターが「今、出産すれば子供が助かる可能性は数%です。できるだけ長くお腹の中にいさせてあげましょう。お母さん、頑張りましょうね」と告げられた。

ショックでした。
数日前にテレビで未熟児で出産をされた番組を見て可愛そうだね…
なんていってた事が実際、今自分の身に起こっている…信じられなかった…
とにかく、頑張ろうと思っていました。1月7日のことです。

それから、2日後のお昼頃、私がベッドに寝たきりで身体を無理に起こそうとした瞬間
お腹に激痛が起こって、緊急出産となりそれがなんと日曜日のことで…
帝王切開しかしたことのない私は、また今回も切るんだろうと思ったら
ドクターが自然分娩で出しましょうと言われ、初めての自然分娩で出産をしました
羊膜に包まれたまま分娩したらしくドクターと看護婦さんが驚かれてみんなが見にくる状態に!
そのおかげか、傷一つつかず綺麗な状態で生まれたそうです。
小さすぎて、泣き声も聞けず一刻を争うと言うことで顔を見させてもらうことなく
保育器の中へ…連れていかれました。

私が全ての処置を終え、病室に戻った時に主人と娘が驚いたように駆けつけてきました。
その後、主人はドクターの話を聞きにそして娘に会いに行きました。
「小さい身体にたくさんの管が刺されてるのに、小さい小さい手足を必死に動かしてたよ・・かわいそうでみてられなかった…」と聞いたのは次の日の朝でした。
それまで、私は熟睡していたそうです。
その次の朝、主人と娘が病室に飛び込んできて主人はすぐにEICUへ…
実は、その前に本当にこの世に生まれてはじめて恐ろしい夢のようなものを見たのです。
それが、娘の危機を知らせる夢だったとは…

主人が呼ばれた後、私が呼ばれ、初めて対面した娘は胸を看護婦さんに押されていました。
その小さな胸は青くなっていました。主人は、もう泣き崩れていて私はすぐに状況を把握しました。
「心臓が止まってもう1時間半、人工マッサージをしています。このまま続けますか?多分、もう…」
そういわれたとき、なぜか冷静に「はい、もうよろしいです。」と言った記憶が…

体重はわずか、670gでした。
身体は真っ白で本当に未熟児とは思えないほど顔も綺麗で…

私が、あの時、無理に身体を動かさなかったら…
私が、あの子を殺してしまったのかも…
お腹に入ったときに心から喜んでやれなかった…

優ちゃんは、この世に生まれて声を出すことも、笑うことも、泣くことも、
外の空気を吸うことも、綺麗な景色を見ることも、美味しいものを食べることも
恋愛をすることも、何もできずに天使になりました。

それを思えば、私は、がんになったけど
子供が授からないと医師から言われたにもかかわらず
二人の娘を授かりました。
美味しいものも、恋愛も、結婚も、出産も、子育ても一通りに事はできました。
優ちゃんの苦しみを考えればがんという病気にも耐えなければ…と
思う毎日です。

今日は、誕生日。
天使になった優ちゃんにケーキ買わなきゃ…