母との気持ちのすれ違い | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

ただいま・・

今日は、少し疲れました

いつものように、母との1日・・

相変わらず、家の中は大変な状況で、
冷蔵庫の中、床、トイレ、寝室は物でごったかえしてる

冷蔵庫の中に、ヘルパーさんに切ってもらった野菜が散乱ガーン

ラップもせず、そのまま容器に入れたままになっているもの
キャベツの千切りやじゃがいもの輪切りが
真っ黒に黒ずんで、なんの野菜かわからなくなっていたり・・

母は、全ての野菜や果物のカリウムを取らなければならない
だから、ヘルパーさんに切ってもらったものを
カリウムを取ってもらうまでの処理をしてもらって ・・と
常に言っているんですが、母曰く
「ヘルパーさんも時間が無くて切るのが精一杯なんよ・・」
でも、お湯を鍋にかけて切ったものをすぐにお湯に入れれば
良さそうなものなのに、それができないのかな?って
不思議に思う事もしばしば・・かなしい
 
母がするように言わないのか、しないのか・・

ヘルパーさんにしてもらう時間が無いなら
ヘルパーさんの時間を増やせばいいでしょうえ~

・・というと、決まって母は無口になり機嫌が悪くなる

そういうところは同居している時から全然変わっていない

私がこうして欲しいと言っても自分がしたくない時には
決まって機嫌が悪くなり、そんなことを言うならここから飛び降りてやるうー
・・とよく言われて私がいつも折れていた・・‥・

この言葉に私も何のために、母に尽くしているのかわからなくなって
悲しくて、腹立たしくてたまらなかった・・

でも、32kgで目が見えず、インシュリン注射でお腹も足も真っ黒になり
坐骨神経痛で首から背中が曲がり、歩くこともままならない姿を見ると
やっぱり私がしてやらなきゃ・・って思ってしまう・・しずく

バカみたい・・涙
そう思う事ももう慣れたかな・・
でも、私はまだ目も見えるし、歩くこともできる
母は、かごの鳥で、自由に散歩もできず綺麗な景色を見る事も出来ない

そう考えると、元気だった母の言葉とは違い
すれ違いの考えも、怒ることができない・・


私も体が不自由になるとわがままになるのかもしれないな・・つかれた